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アメリカの現実⑮「森発言に関する一考察:ステレオタイプな考えは、いつの間にか偏見や差別へと変容する」

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JOCの森喜朗元会長の発言・辞任といった一連の動きと論議は、実に日本的な流れで、相変わらず「不思議な国ニッポン」が存在していることを、世界に示した。私はこの騒動に関して、当初から女性蔑視という事よりも、森元会長の「一般論ですが」という言葉に、非常にひっかかりを覚えた。なぜひっかかったかを書いておきたい。

「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」

Albert Einsteinは数々の名言を残しているけど、私がここで言いたいことを彼は語っている。

"Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen(常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう)"

ここでいう、18歳というのは「大人になるまで」という意味で、これが16歳でも20歳でもよくて、その人が大人になったという自覚が来る時を、ここでは「18歳」と表現してる。

多くの人達は、社会が容認しているという前提で「常識」という曖昧な表現をしばしば使う。但し、これはある一定の社会で通じる物差しで、当然のように歴史的背景、文化、社会制度が異なれば、その固有の「常識」は通じない。

英語の「Common sense」という語彙の成形を見ると、意味がすーっと入ってくる。「Common(共通)のsense(感覚或いは漠然とした感じ)」という単語で成り立っている。日本語の「常識」という漢字のように「常」という意味は、この「Common sense」にはない。即ち社会の人達が共通な感覚として、漠然として抱いているのが「Common sense」で、それは帰属する社会によって異なり、さらに時代によって変化する。

Einsteinが言いたかったことは、「Common sense」と呼ばれる曖昧な感覚を後生大事に抱えて生きていると、それは結果として「Prejudice(偏見)」に変容してしまうというコトだと思う。但し、これも英語の単語の成形から見ると、「偏見」というよりは「先入観」という日本語の方が適格であるように思う。「Common sense」という曖昧な共通の感覚を持ちながら、相手や物事を見たり判断したりすると、それは「偏った見方(偏見)」になる。

そして当然のごとく、「偏見」も「常識」と同様に、その人が生きている時代と場所によって異なり、また変化していくものである。

私の喉にひっかかる「一般論」という小骨

森元会長が発言した「一般論」という言葉は、私の喉に刺さった小骨だった。「一般論」という言葉は、Einsteinが指摘した「Common sense(共通の漠然とした感覚)」に置き換えられるからである。「一般論」とは、その人の人生における「Prejudice(先入観)のコレクション」であって、誰もが納得できる普遍的なものではなく、往々にしてデータ的な裏付けがなされていない。

「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。(中略)女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困る。」「女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を挙げていうと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」

また、この発言は2月3日に、「女性理事を40%以上にするというJOCの目標に関して質問を受けた」時に出たものである。そのコンテクストを考えると、彼は何らかの答えで、この質問をかわさなければならず、「一般論」という多くの人達が共有している論理という表現をかざして、防衛した。

仮に森元会長が、「これは私個人の見解ですが」と断って、例の発言をしたならば、私は、あえてここで、彼の発言を取り上げなかったと思う。但し、コロナ禍で開催が危ぶまれているこの時期、日本オリンピック委員会会長という立場で、この発言はありえないと思う。当然のように国内外を問わず、様々な論議が巻き起こるのは、必然である。

研究結果が示す森発言の誤り

当初この森発言への反応は、海外の方が早くまた強い批判が巻き起こった。私が取り上げたいのは、Forbesの心理学とジェンダーに関する記事をカバーする記者が、発言の翌日2月3日に指摘したポイントである

彼女は、森発言の2つのポイント「女性はお喋りである」、「女性は競争意識が強い」という点は、過去の調査研究に基づくデータによると事実とは異なる、ステレオタイプな発言と一蹴している。

1) Deborah JamesとJanice Drakichの研究者によると、男女の話す量を比較した56件の先行研究で、女性が男性より話す量が多いと結論づけた研究はわずか2件で、逆に男性の方が発言が多いことを示した研究は34件あった。調査によれば、人の発言が多いかどうかは、性別よりも地位に関係している(発言が多い人は高い地位に就いていることが多い)。さらには、女性が発言をすると、主張が強すぎるとして反発を生むこともある。学術誌Administrative Science Quarterlyに掲載された2011年の論文によると、頻繁に発言する役員が男性だった場合は能力が高いとみなされる一方、女性の場合は能力が低いとみなされる傾向があった。

2) スタンフォード大学とピッツバーグ大学の研究チームによると、「男性の方が競争に対する意欲が高く、誰かと競うことでパフォーマンスが上がることが示されている。男性は競争好きなだけでなく、自分の能力に過剰な自信を持っているため、競争を追い求める傾向にある。」

彼女は、森会長の事実と異なる女性への見解は、彼に限らず多くの人が無意識に思っている「女性はお喋りである」というステレオタイプな考えが一般に根差している点から来ることを指摘している。

社会が「偏見」を容認・黙認していると、それは「差別」へと変容する

こういう発言を、個人の失言として放置或いは黙認してしまうと、ステレオタイプな考え(=偏見)が助長されて、いつの間にか人々の意識下にもぐりこんしまう。そしてそれは「差別」といった形に変容して、思わぬところで、大きく顕在化する可能性が高い。これに関しては、過去自分のブログで何度も触れているので、ぜひ読んで欲しい。

米国には、人種民族、性別、年齢、性的志向性、宗教など、様々な「先入観=偏見」が存在する。理由は、多民族国家であり、移民によって成り立っているという、米国の国家としての特性にある。そのため、国民全員が合意をとれるような共通の感覚は、殆ど存在しない。

だからこそ、過去4年間、前大統領は自分にとって有利になるように、平易で誰もが分かる悪意のある言葉で、米国民の違いをことさら掻き立て、ガソリンをまき散らして、偏見や憎悪に火をつけた。その結果が、1月6日の議会占拠暴動という、米国民主主義の崩壊をも感じさせるほどの出来事の創出である。

日本は、勿論米国とは大きく異なり、顕在化する「偏見」と「差別」が見えにくい社会である。でも顕在化していないだけで、当然のように「偏見」と「差別」は存在し、事実に基づかない「一般論」でそれが助長される可能性を常に秘めており、また助長され続けている。

「異なる者や考えへのRespect(尊敬)」ということを話したい

私は「女性差別」とか「老害」などという言葉を使っていないし、「Political correctness」などといった意識もなく、物事を常にニュートラルに捉えているつもりである。但し、私から見ると、今回の一連の動きには、「異なる者や考えへのRespect(尊敬)」というものが欠落しており、その結果、それから受ける多く恩恵を見逃しているという気がする。この「異論の持つチカラ」に関しては既にコラムで書いたので、ぜひこちらも読んで欲しい。

ここであえて再度「性差」に関する別の調査を持ち出して「異なる者や考えを受け入れるとどんな恩恵があるか」を記す。これは「女性役員の存在は、男性CEOの自信過剰を抑制する」というHarvard Business Reviewの記事からの抜粋である。

役員会に、女性役員がいることのメリットの一つは、視点の多様性が広がることである。これは取締役会における審議の質の向上を意味する。複雑な議題が絡む場合は、このメリットがいっそう顕著になる。なぜなら複数の異なる視点があれば、より多くの情報が得られるからである。

さらに、女性役員は男性役員に比べて(多数派への)同調や迎合をする傾向が低く、独自の見解を表明する姿勢が強い。男性同士のネットワークに属していないからである。したがって女性メンバーがいる取締役会は、企業戦略の意思決定の場で、CEOに異議を唱え、より広範な選択肢と賛否両論を検討するように迫る傾向が強く、それによってCEOの自信過剰が抑制され、バイアスの可能性をはらむ考え方の是正につながる。

森発言の後にこの記事を読むと、実にアイロニカルな調査結果に思える。また別の調査でも、「ROIにおいて、女性役員比率が最も高い企業は、女性役員比率が最も低い企業より、66%も好結果を創出する」というデータもある。

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「偏見」や「ステレオタイプな考え」を、取り除くためには、自らが発言し行動し証明しないと始まらない

勿論、多くの人達の中には、どういう基準で「偏見」或いは「ステレオタイプ」と規定するのか?、それこそ、そちら側の「偏見」だ、或いは「Political correctness」だと、反論する人もいると思う。これは確かにある種センシティブな問題で、誰が発言するかによって、簡単に「偏見」のラベルが貼れる可能性がある。但し、だからといって、容認・黙認していたら、いつまでたっても「偏見」が蔓延り、結果恐ろしい「差別的な行動」を誘発してしまう。

私が26年前米国移住した時、ビジネス経験豊かな米国女性から「日本では苦労したでしょう」と言われて、私は「はて、何のことだ?」と思った。当時の日本のビジネス社会は、男性優位で女性はお茶くみぐらいしか仕事ないと、世界中の人達に思われていた。また彼女達は、日本出張の時に日本男性達の態度に非常な不快感を感じた経験もあった。そんな彼女達は「そこでよくビジネスキャリアを構築した」という点で、私のキャリアを見て驚いた、ということに、私は後から気付いた。もう四半世紀も経っており、法的な平等性は整備されているのに、なぜ今だに日本は変わらないのだろう? という素朴な疑問を、諸外国の人達は感じていると思う。

私が思うことは、諸外国にやいやい言われたからと言って、日本社会の「一般常識」はそんなに簡単に変わらない。「変わらない」というのは、「変える意思がないから変わらない」というコトに他ならない。根本的な問題は、アクティビストだけではなく、一般の日本の女性達が、森発言をどう受け止め、それに対してどう考えて、どう発言・行動していくかだと思う。当事者の意思がない限り、変化は起こらない。

私が、22歳から38歳まで在籍した日本のビジネス社会で、稀有なケーススタディとして、キャリアを構築できたのは、「この閉鎖的な仕組みを変える意思」が自分にあったからである。22歳の私は「お茶くみや雑巾がけ、Faxのない時代のFax代わりとして、書類をクライアントに届けながら、毎日仕事が欲しいと上司に頼み込み、仕事を獲得していった。そしてもらった仕事を人の倍以上働きながら、実績を積んでいった」。私は、当時の「女性は2年勤務して寿退社(結婚のために退社する)」というステレオタイプの考えを変えて、男性と同様に(私の本音は彼ら以上に)キャリア構築するという、強い当事者意識を持って、変革を起こしたと思う。

日本の一般の女性達が「女性への偏見」を変えるべく発言・行動するのを、私は待っている。当然起こるし、起こりつつあると期待している。

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アメリカの現実⑬「Diversity of experience:チーム構築において本当に重要なことは経験における多様性」

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Biden政権の様々なスタッフや閣僚候補が発表されるたびに、現政権との違いに驚く。言わずもがなで、現政権の重要閣僚やメンバーは白人男性で多く占められており、両チームは視覚化するだけで、その差異は歴然としている。ここで、はたと気がついたことは、「Diversity & Inclusivity」を語る時、通常、多くの人達は、人種、性別、年齢、性的指向性(LGBTQ+)という多様性を言及するが、それらを超えて、個人がそれまでに獲得した、「経験」に関しての「多様性」はどうなのか?という点である。

Biden政権のコミュニケーション担当のシニアスタッフは、結果的に全て女性となる

大統領のコミュニケーション担当のスタッフは非常に重要な役割を担っている。特にCOVID-19が猛威を振るい、虚偽情報や陰謀論がソーシャルメディアを通じてばら撒かれ、分断が深まる米国において、大統領および政権の真意を正確に分かり易くパブリックに伝えるシニアレベルのスタッフは、人々が納得できるコミュニケーション能力とスキルを持つ人が選ばれるべきである。

米国の企業におけるマーケティング及びコミュニケーション担当は、女性が多くを占める。単純に性差を持ち出してコミュニケーション能力の優劣を語るのは好まないが、子供を育てる性である女性は、集団内の意思疎通がうまくいくように、長い人類史の中で、コミュニケーション能力が、男性より必然的に発達したのかもしれない。今回の大統領選挙で、Bidenを大統領にしたのは、サマライズすれば、女性有権者のチカラと言えるが、その状況を考えれば、そうした女性達への配慮があったにせよ、選択の結果、全員女性となったというのは、自然なことなのかもしれない。

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多様性の中で今後注目すべきは「Diversity of experience(経験における多様性」

この7名は、人種及び性的指向性(LGBTQ+の女性もいる)においても多様性がみられるが、ここで最もポイントアウトしたいのは、7人の女性のうち6人が年の若い子供を抱えるWorking motherだという点である。VPのKamalaにも義理の子供達がいるが、彼らは既に成人している。この6人の小さな子供を持つWorking mothersが、子育てをしながら勤務することは、Working motherの視点及び経験を、ホワイトハウスに持ち込むことを意味する。

これは非常に重要な「Diversity of experience(経験における多様性)」の事例と言える。

また経済担当の重要なポストにつく候補者も、以下の画像が示すように、「経験」において非常に多様性に富んでいる。元Federal Reserve chairのJenet Yellenは女性初の財務長官候補であり、No2の経済担当候補となったWally(Adewale) Adeyemoは、ナイジェリア生まれのアメリカ人で、父親は教師、母親は看護婦、2ベッドルームのアパートメントで2人の弟と妹共に育った39歳の俊英である。

ここでも人種・年齢・性別を超えて、優秀な人材の「固有の経験」をチームに持ち込み、難問が山積みする経済問題を様々な角度から解決すべく「経験の多様性」を生かす戦略が目につく。

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「経験」を加えることで、真の意味での「Diversity & Inclusivity」が実現可能となる

調査によると、女性役員比率の最も高い企業は、女性役員比率が最も低い企業より、ROIにおいて66%も好結果を創出するというデータがある

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この女性役員がいることのメリットの一つは、「視点の多様性」が広がることである。これは取締役会における審議の質の向上を意味する。複雑な議題が絡む場合は、このメリットがいっそう顕著になる。なぜなら複数の異なる視点があれば、より多くの情報が得られるからである。

さらに、女性役員は、男性同士のネットワークに属しておらず(Boy's Clubには入らない、入れない)、男性役員に比べて(多数派への)同調や迎合をする傾向が低く、独自の見解を表明する姿勢が強い。したがって女性メンバーがいる取締役会は、企業戦略の意思決定の場で、CEOに異議を唱え、より広範な選択肢と賛否両論を検討するように迫る傾向が強く、それによってCEOの自信過剰が抑制され、バイアスの可能性をはらむ考え方の是正につながる。

この説明の中の企業を政府・政権に、CEOを大統領に変えれば、如何に「視点の多様性」が政治において重要かは一目瞭然である。この企業内の女性取締役の役割をより拡大させると、以下のような公式が成り立つ。

人種+性別+年齢+LGBTQ++経験(外国生まれ、異なる職種&ライフステージなどEtc.)= 真の意味での「Diversity & Inclusivity」

異論の持つチカラ

悪い決断とは、インテリジェンスやナレッジの欠落で起こるものではない。悪い決断は、ソーシャルプロセス、すなわち他の人の意見や予想可能なグループプロセスといったものによって、強く影響される。ソーシャルプロセス(=常識的なバイヤス)は、我々が気がつかないうちに、我々の考え方をしばしば変えてしまう。

政治やビジネス、さらに人生における決断で、重要なことは、ソーシャルプロセスによって、無意識に大きく影響を与える常識的なバイヤスの力を弱めるために「異論に触れて、そのショックによって想像力を拡張し、予想できないものへと向かおうとする、自らの意思」である。

人は、自由に連想しようと思っても、それほど自由にはなれない。例えば、「青い」という言葉に関して自由に連想しようとしても、答えは「空」や「海」などが出てくる。人間の連想は言葉によって形成され、そして言葉は、ありきたりな表現に満ちている。

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カリフォルニア大学バークレー校心理学者Charlan Nemethの実験によると、「異論」する人を入れた被験者グループは独創的な連想をし始める。「青」を見て「空」、「緑」を見て「草」を思い浮かべる代わりに、彼らは連想を広げ、「青」から「マイルス・デイビス」や「マネーロンダリング」を思い浮かべるようになり、ありきたりな答えばかりが出てくることはなくなった。

「異論」の持つ力は、驚きの力に他ならない。間違った答えが叫ばれるのを聞くこと、つまり青が「緑」と言われるのを聞くショックにより、人は色の持つ意味をもう一度考える。その結果、青を空に安易に結びつけるわれわれの緊張感のない連想は、影を潜める。予期せぬものと出合うことで、人間の想像力が大きく広がる。

質の高い決断とクリエイティビティのある解決のための必要なのが、この異論のチカラである。

これを得るためには、まずチーム内を、人種+性別+年齢+LGBTQ++経験(外国生まれ、異なる職種&ライフステージなどEtc.)= 真の意味での「Diversity & Inclusivity」に満ちたメンバーで構成することが必須である。

どうやら、Biden政権はこの方向に行きそうなので、私は楽しみに思っている。彼らがどういうOutputを出すかを期待したい。

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アメリカの現実⑫「無意識下のステレオタイプな考えをなくすには?」

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私はNational Geographicの記事が好きで、よく読むが最近読んだ記事の中で2つの興味深いものがあった。それは考古学上の発見ですら、科学者の無意識下のステレオタイプな考えによって、事実誤認、或いは事実を無視してしまうという事が起きるという点である。

9000年前の女性ハンターの発見

2018年カリフォルニア大学デービス校の考古学の研究チームは、アンデス山脈で発掘された約9000年前の墓にある人骨を、多種多様な狩猟用の石器、大きな獲物を倒してその皮をはぐ道具などを見て、当然のように優れた男性ハンターと決めつけた。だがその後の分析でその人骨は女性であることが判明し、さらに2020年11月4日付の「Science Advances」の論文によれば、当時南北米大陸では、大型動物のハンターの30-50%は、女性である可能性が明らかにされた。

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我々の先史時代に関する常識は「狩猟は男性、採集と育児は女性」という「伝統的な性別による役割分担」によって支えられている。但しこの19世紀以降の世界の狩猟採集民を調査してきた人類学者の記録に由来するものが、このペルーの発掘及び最新の研究で、必ずしも先史時代には当てはまらないことが証明された。言い換えると、このペルーの人骨以外にも、「女性の骨格に狩猟の痕跡があったり、狩猟道具と一緒に埋葬されていたりする」事実は、過去多く存在していた。しかし考古学者は、ステレオタイプな男女の役割分担の考えに縛られ、事実を無視、或いは見過ごすというミスを繰り返していた。

先史時代の狩猟のリーダーとして必要な資質とは、「健康で強靭な肉体を持ち、集団を統率し、大型動物を捕捉するための優秀な頭脳を有する」コトである。これらを備えていれば、当然、女性でも、ハンター或いは指導者になり得たことがここで確認された。

1000年前のヴァイキングの女性戦士

2020年9月8日付けの「American Journal of Physical Anthropology」によると、1000年以上前に埋葬されたスウェーデン南東部のビルカの墓は、ヴァイキングの男性戦士の『理想』の墓とされてきたが、DNA鑑定によって、この墓には、女性が埋葬されていることが証明された。この墓が発掘された当時(1880年代の終わり)は、遺骨は剣、矢じり、槍、そして殉葬の馬2頭と共に見つかったため、考古学者は固定概念に基づき「これを戦士の、つまり男性の墓だ」と考えた。

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またこのDNA鑑定以前にも、この定説を覆す研究がなされ、遺骨の骨盤と下顎を詳しく分析して、女性に典型的な寸法と一致するという結果が出たが、一部の考古学者は、墓地の発掘は100年以上前に行われたため、ラベルが誤っている、別人の骨が混ざっている、といった批判を繰り返していた。しかし、今回のDNA鑑定の結果、骨からY染色体は全く検出されず、あちこちの骨から取り出したミトコンドリアDNAは全て一致し、遺骨は1人の女性であったことが確定した。またもう1つ興味深いことは、彼女の膝の上には、ゲーム駒があったことから、彼女が戦術立案も可能な優れたリーダーであったという点である。

このビルカの墓の女性戦士以外にも、ヴァイキングには女性戦士の伝承が残されている。10世紀初めのアイルランドの文献には「インゲン・ルーア(赤い娘)」という女性戦士が、ヴァイキングの船隊をアイルランドへと導き、13世紀のヴァイキングの物語の多くに、男性戦士と共に戦う「盾を持った乙女」が登場する。だが、こうした女性戦士の記述は、単なる神話的脚色だと決めつける考古学者が多く存在していた。

つまり考古学的解釈が、上述の9000年前の女性ハンターと同様に、科学者ですら、我々が縛られているステレタイプな性別による役割分担を、無意識に当てはめて、その結果、真実を見落とすことがあるという点である。

政治、スポーツ、軍隊と、米国のガラスの天井にひびが入りつつある。

今月は、米国の色んなガラスの天井にひびが入りつつあるKamala Harrisは初の非白人(黒人&アジア系)女性副大統領となり、メジャーリーグベースボールではMiami Marlinsが史上初めて女性GMにアジア系アメリカ人女性のKim Ngを指名し、US海軍士官学校では175年の歴史上初めて黒人女性のSydney Barberがリーダーとなるなど。

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「先入観」→「偏見」→「差別」の公式をなくそう

私は色んなところで書いたり話したりしているが、「女性云々」という言い方で、事さら性別を話題にすることは避けたいと思っていた。但し、無意識下のステレオタイプな考えが、如何に社会の中で根深く人の考えを支配し、それによって多くの制限が生まれる以上、やはり声を大にして口にすべきだと思い始めた。特に私のように両親の励ましの下で、幼少時からあまりジェンダーを意識せずに育ち、女性としての被害意識を持たずに、常に自分自身ジェンダーニュートラルで歩き続けきた人間だからこそ、敢えて発言すべきだと思う。

また私は、日本時代は男性の独壇場であったエージェンシーの中で、ガラスの天井を突き破るために拳に血を滲ませ(男女雇用均等法以前の話)、米国移住当初は、英語が不自由な外国人という立場で、白人だらけのエージェンシーで、アタマを何度も壁に叩きつけられた経験がある。痛みはよく分かっているつもりである。

無意識下のステレオタイプな思考を消していくには、「目についたステレオタイプな現象」に対して、「それはおかしくないか?」と声を上げていくといった地道なコトから始めるのがいいと思う。疑問を持つことは非常に大切で、その疑問によって、人は新たな「想像力の飛躍」が始まる。

「先入観」があると「偏見」を持ちやすくなり、その結果「差別」という行為が起こる。これを肝に銘じて、想像力の羽を広げて、飛翔しよう!

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