Viewing entries tagged
#パンデミック

Comment

コロナ禍でのアメリカ生活㉛「コロナ禍は我々をタイムマシーンに乗せた」

IMG_4120 (002).jpg

今年もあと2日で終わる。何を今年は考えたか?と自問自答しているところ、WSJの記事が目についた。その中でも以下のShopifyの VPのLoren Padelfordの言葉は正鵠を得ている。

“Covid has acted like a time machine: it brought 2030 to 2020,” said Loren Padelford. All those trends, where organizations thought they had more time, got rapidly accelerated.(コロナは、まるでタイムマシンのように2030年を2020年に持ち込んだ。まだ時間がかかると思われていたこれらのトレンドが、今年一気に加速した)”
The_Time_Machine_(H._G._Wells,_William_Heinemann,_1895)_title_page.jpg

確かに今年1年は「個人及び社会において、10年分のデジタル化が進み、一気に生活が2030年レベルに到達した」と言える。4月の娘の結婚式を皮切りに、夫の父親の誕生パーティ、家族のReunion、選挙候補者との質疑応答、自宅が属するコミュニティ・ミーティング、姪のBaby Shower、クリスマスパーティなど、全てをZoomで行い、下は姪のお腹にいる赤ちゃんから、上は89歳の父親まで、当たり前のようにオンラインヴィデオで会話している。私達夫婦は、娘の夫側の家族と初めてZoomで顔を見て話し、夫の父親を含めて80代の親戚は毎週日曜日はZoomによる教会中継に参加している。

私は自宅で週に5日間毎朝ストリーミングによるエクササイズを行い、モバイルによるオンラインバンキングは当たり前になり、過去1年間一度も現金を使わず(非接触)、法的な文書や契約書もeサインで完結している。これは昨年までは中々想像できない浸透度で、オンラインによる消費行動や社会生活は、まるで10年前からやっていたかと思わせるほど、自然に生活に馴染んでいる。

仕事面では、25年間の滞米生活で初めて日本を含めて一切の海外出張がなく、更に飛行機に乗ったのはパスポートの更新でコロラドの日本領事館に行った時のみ。またその日も日帰りだったため、1年間一度も自宅以外で宿泊しなかった。日本のクライアントとのミーティングはオンラインヴィデオとなり、セミナーも全てオンラインで実施した。このデジタル化は、様々な利便性を私の仕事にもたらしている。

それまでは、私が日本に行かないとミーティングやセミナーが実施できないという慣習があったが、今年は私の出張スケジュールに関係なく、気軽にいつでもできるようになった(日米は時差があるので、米国時間の夜中とか朝方にセミナーをやる場合があるのが、ちょっと難点)。

さらに「ひさみっと」と呼ぶオンラインコミュニティを立ち上げて、毎回リアルタイムヴィデオで、ゲストとディスカッションするという中身の濃い日米間のコミュニケーションも可能となった。

HiSummit.png

また事務的な面では、請求書は郵送ではなく、eサインをしてメール添付で送れるようになり、クライアントサイドのデジタル化も急速に早まった。

パンデミックが加速化させる「Asset light(資産軽量化)なビジネス」

2020年はビジネス面においては、投資家の資金が「Asset Light(資産軽量化)」のビジネスモデルの企業(Amazon、Carvana、Airbnbなど)及び、これらのモデルにインフラを提供する企業(Zoom、Microsoft、Shopifyなど)に流れ込んだ。デジタル時代においては、当然のように産業機械や工場などの有形資産よりも、アイデアやR&D、ブランド、コンテンツ、データ、人的資本といった無形資産が価値を生む。

この傾向はGoogle、Facebook、Amazonのような巨大プラットフォーム企業の成長に顕著に現れていたが、今年はパンデミックでビジネス上のやり取りが対面からバーチャルに移行し、一段とその流れが強まった。企業は今やオフィススペースや出張にかける費用を縮小し、クラウドコンピューティング、共同作業ソフトウエア、物流管理にかける費用を増額している。

デジタル化は、100年前から進行するプロセスの次のチャプター、即ち「Dematerialization of the economy(経済の脱物質化)」を意味する。農業から製造業に主役が代わり、やがてサービス業へと移行したが、それに伴い、有形物や労力に由来する経済的価値の割合は縮小し、情報や頭脳に由来する価値の割合が増大した。

局地的な疫病であったコロナは、パンデミック化し、全世界に同時に莫大な影響を与えて、デジタル化を半ば強制的に世界中に強いた。言い換えると、コロナ禍は「Dematerialization of the economy(経済の脱物質化)」のAccelerator(加速装置)の役目を果たしたことになる。

こうした流れの良しあしを、私はここで言及するつもりはなく、ただ確かなことは、この潮流が今後も継続していくという点だけは触れておきたい。

「出来ない」というExcuseはもう通用しない

何か新しいことをやる場合、「出来ない」という言葉を使う人がいるが、これを翻訳すると、「新たなことをしたくない」という意味になる。理由は、「失敗を恐れる」、「新たに学ぶことに手間暇かけるのがいやである」、或いは「既存権益を守りたいから」といったことが挙げられる。

但し2020年を経験した私たちには、もうこの「出来ない」というExcuseは通じない。ワクチン投与が始まった今でも、莫大な人達がワクチン接種ができて、予防が確立するまでには相当時間がかかり、その間にもコロナの変異種が生まれるなど、現状が2019年当時に戻ることは考えられない。感染を広げないためにも、「非接触」を中心とする生活は今後も継続していくと思う。

2030年の世界にタイムトラベルした以上、その仕組みの中で、自分にとってより良いやり方を見つけるしかない。時計の振り子は元に戻らず、「出来ない」ではなく「やるっきゃない」という姿勢で、新たなことにチャレンジする、それが2020年を厳しい現実を経た、私達の生きざまである。

私個人として、大好きなセーリングが今年1回もできず、愛艇のKaiyo(海洋)の乗れなかったことが、唯一残念なことといえる。

Kaiyo 71_small.jpg

それ以外は、このコロナ禍によって、様々な機会が与えられたことに、心から感謝している。家族や友人、さらにクライアントも含めて、離れていても、深い交流が可能となり、実りのある年だったように思う。

365日ほぼ24時間いつも一緒にいた夫に心からの愛と感謝をささげて、明日は2人で静かに良い年を迎えたいと思う。

Comment

Comment

コロナ禍でのアメリカ生活㉚「Self esteem(自己肯定感)ー遺伝子が作った子供の個々の才能を『無理強いの早期教育』で捻じ曲げない」

IMG_4120 (002).jpg

幼少期の教育の重要性が以前から気になっている。昨今の日本は従来の教育の仕方に疑問を呈して、幼児期に英語教育をしてバイリンガルに育るとか、早く仕込めばアドバンテージが多くあると思って、色々やっているみたいだが、慶應義塾大学医学部小児科主任教授の高橋孝雄氏が語る「早期教育は意味がない」という長いインタビュー記事には、様々な示唆が含まれている。高橋教授の記事から、私が関心を持った部分を以下にまとめる。

1)遺伝子の「決定力」はとても強固で、例え劣悪な環境でも大事な部分はしっかり守られる。

胎児は25-26週目ぐらいまで脳には皺はなく、それ以降、300グラムの体重で生まれてきた新生児は、このような危うい状態でも保育器の中で、母親の胎内の中で同様に、遺伝子によって、大人と同じように皺が作られていく。脳のように重要な部分は、例え状況や環境が悪くても、遺伝子という金庫の中で厳重に守られていく。

胎教の観点からモーツァルトの曲を聴かせるといったコトが言われたりしたが、胎児には音楽は聞こえないので、クラシックであろうがヘビメタであろうが、母親が「これがママが好きな曲なので一緒に聞いてね」と胎児に語り掛けてコミュニケーションすることが非常に重要となる。胎児の時から、そのようなコミュニケーションを取っていると、生まれてきた際「やあ、よく出てきたね」というところから親子の関係が始まり、愛情のあるスタートがきれる。

2)子供の性質・性格、嗜好性、学力、運動能力といったものは全て環境要因よりも遺伝子要因で決まる

「トンビが鷹を生んだ」という表現があるが、高橋教授によれば、特定の勉強の得手不得手は教育といった環境要因よりも遺伝子要因で決まる部分が大きいという。これは性質・性格、「何が好きか」という嗜好性、さらに運動能力にも当てはまる。そのために両親が得意なコトや好きなコトを子供にやらせたら、それがその子供に向いていたということが十分起こりえる。遺伝子が作ったその子供の個々の才能を「無理強いの早期教育」で捻じ曲げないことで、「トンビでも鷹のように優秀なトンビ」を育てられる。

3)子供の時に成功体験を積んだ人間(=自分大好きな子供)は強く、自己肯定感を構築するために子供を褒めることが大切

遺伝子要因が多くのことを規定している以上、親が何を子供に提供できるか? 親の育て方即ち環境要因で差がつく部分は、子供が自分に自信を持つ(Self esteem-自己肯定感)ようになるかどうかだと、教授は言う。

例えば、早く自転車に乗れるようになった子と、小学2年生でやっと乗れるようになった子の運動神経の差はない。早く乗れたからといって自転車選手になるわけではない。つまり「早さ」に意味はなく、遺伝子により決められた能力を環境要因で押しつぶすことさえしなければ、必ずそれは必要な時に出てくるようになる。逆を言えば、出来ないこと、嫌いなことはできなくて良い、自信を失わなくて良い。だからこそ、親としては子どもの「出来ること」「得意なこと」を探してあげることが大切

すべてのことは上にいけばいくほど困難になり、頭打ちになる。だから小さな時から挫折感を味あわせないほうがいい。

思春期前の子供の心「Sense of wonder」を伸ばす

pexels-rakicevic-nenad-1274260.jpg

13歳というのは小学校から中学校に上がる年齢だが、思春期を迎える直前の年頃でもある。思春期を迎えると当然のように、子供達の関心は急激に異性に向かい、様々な事象の中に不思議さを感じていた「Sense of wonder」の気持ちを喪失していく。この思春期前に、どこまで子供のSense of wonderを親が一緒になって伸ばしていけるかどうかが、子供の自己肯定感の育成と、もう1つ「自分の見方で物事を見るチカラ」の醸成につながると思う。

Albert Einsteinは、「常識とは18歳までに積み重なった偏見の累積でしかない」と言った。

"Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen." Albert Einstein

私は思春期前の子供達の好奇心とイマジネーションを重要視する。18歳まで待つ必要もなく、思春期を迎えた子供達は、子供時代を通り抜けて、少年&少女になってしまう、それでは遅い。偏見や固定概念が、アタマと身体に沁み込む前に、遺伝子によってしっかり守られた個々の才能を伸ばす教育をすべきだと思う。

私の思春期前の体験が証明する「自己肯定感」の強さ

「自分大好きな子供」は、個が確立されているので、自分が考えた考えや意見を人にコミュニケートしたくなる。同質性を強調する日本社会では、そういう個の確立を、圧力でつぶそうとすることが多々ある。それを考えると、個の確立された子供達がさらにそれを伸ばせるような場や、それを勇気付ける教育の仕方が学校でも家庭でも必要だと思う。

自分の子供時代を振り返ると、非常に興味深い逸話がある。私は小学1年から6年まで常にクラス委員に選出されており、自分で言うのもなんだが成績もよく人気者でもあったが、一方では「女子のいじめ」にもあっていた。女子のいじめは仲間外れのようなものだが、私は女の子の遊びが好きではなかったので、男の子と野球や木登りをして遊ぶという形で無視していた。但し、同じくいじめにあった女の子が転校することとなり、学校で問題視されて、母は初めて私がいじめを受けていることを知り、泣きながら「なぜ言わなかった」と私を詰問した。私は「親には関係ないことだし、私は特にそれを問題視していない」と答えて母をあきれさせた。

私の異端児ぶりは、当時小学生の女の子のくせに、Very short hairでダンガリーのシャツにジーンズで学校に通うというスタイルにも現れている。小学校の卒業時に将来の夢見る職業は?という欄に、女の子がモデル、スチュワーデス、お嫁さんと書くのを尻目に「宇宙飛行士」と書いたぐらいである。

要はSelf esteemが強く、個性を重んじる私は、子供ながらにも、周囲の同調圧力に屈せず、むしろ孤高を選んだという話で、これは親が「ひさみの思う通りに生きなさい」という個性を重視してくれた教育の賜物だと思う。

個が確立された人達が社会を構成し始めると、Diversityの強みがPositiveに生かされる。

「三つ子の魂百までも」ではないが、幼児期の体験は、その後の人生の指針ともなるほど重要である。個が確立すると、それを他の人にコミュニケートして、相手が異なる意見を持っても、なるほどそういう考え方もあると、それをリスペクトするようになる。この「一本独鈷」ともいうべきAttitudeこそ、パンデミックの渦中で今のように混沌として先が読めない或いは見えない時代には重要視される。

今、時代は「見えないモノを見るチカラ」が要求されている。そのためには、偏見の蓄積である常識に捉われない考え方が必要で、そうした思考のInnnovationは、Diversityをエンジョイできる人達の中に見えてくる。

岡本太郎は「同じことをくりかえすくらいなら、死んでしまえ」 とまで言い切っている。

ここはひとつ、幼児期の子供達の個性を発芽させて、それを伸ばすためのサポートや教育の仕組みを考えて、個の確立と自己肯定感を醸成して、同調圧力に屈しない、或いは同調圧力などをかけない社会を目指したい。

Comment

Comment

コロナ禍でのアメリカ生活㉙「"Helper's high(他者を助ける・思いやる行動によって得られる幸福感)"を持とうよ」

IMG_9335.jpg

多くの人は実際には体験したことがなくても、"Runner's high"と呼ばれる言葉は知っていると思う。私は中学時代陸上部に所属していたため、学校以外でも自宅からかなりの距離を走っていた。長距離を走ると次第に苦しさが増してくるが、我慢しながらある距離を超えると、逆に「快感・恍惚感」が出てきて、足がまた出始める。これを"Runner's high"と呼ぶが、これとは異なる"Helper's high"とも言うべき「幸福感」が、他人を助けたり、思いやったりすると現れることが、科学的にも実証されつつある。

”Helper's high”という幸福感のメカニズム

"Runner's high"は、継続的な運動中に苦痛を我慢し続けた後に、引き起こされる一時的な多幸感で、長距離走の場合は"Runner's high"で、ボ ート競技の場合は"Rower's high"と呼ばれる。検証実験から、この状態においては脳内にα波とモルヒネ同様の効果があるβ-エンドルフィンという快感ホルモンに満たされていることが判明した。この内、βエンドルフィンの増大が麻薬作用と同様の効果を人体にもたらすことで起こるとされる。注:2015年頃からの研究により、Runner's highをもたらせる物質はβエンドルフィンではなく、体内で生成される脳内麻薬の一種である内在性カンナビノイドに属する化学物質であるとする説も提示されている。

C5_mRIsWcAAedL1.png

https://twitter.com/elbi/status/837641240829177856/photo/1/

これも検証実験から言われていることで、「他者を助ける或いは思いやる行為」によって、脳内でエンドルフィンが大量に放出されて、"Helper's high"とも言うべき「幸福感・多倖感」で満たされ、それにより血圧も下がりストレスも緩和されるという。

今朝目にしたForbesの記事「Why Doing Good Boosts Health And Well-Being良いことをすると、健康と幸福感が改善する理由)」によると、思いやりのある人の唾液について、興味深い調査結果が出ている。

調査によると、思いやりがある人の唾液には炎症と闘う抗体である免疫グロブリンAがより多く含まれている。免疫系が改善するだけでなく、寛大な人の脳スキャンからは寛大さによって穏やかな気質やストレスの低下、感情面の健康の改善、より高い自己評価などがもたらされたことが示されている。

これによれば、身体の健康に関しては、免疫が改善され(炎症と闘う抗体である免疫が多く含まれている)、感情面ではストレス低下や自己評価などプラス面が心身共に起きている。

この心身両面という部分がポイントで、これは、社会生活を営むことで人類が人類として発展してきた経緯を考えると、長い人類史において獲得した"biochemical bases for reward(生化学基盤のための報酬)"ともいうべきものではないか? 言い換えると「他者を助ける」という人間社会の根幹ともいうべき重要なマインドセット及び行動を継続させるために、人間は進化の過程でこの行為に「幸福感」という報酬のメカニズムを獲得してきたんではないか?

パンデミックだからこそ、必要なことは「他者を助ける・思いやる心と行動」

Forbesの記事でさらに興味深いのは、この他者を助ける・思いやるというという「向社会性と幸福」の間の結びつきに関して、女性は男性より強い結びつきがあるという調査結果である。研究では「女性は思いやりを持ち優しい存在であることが固定概念として期待されているため、こうした社会規範に添った行動を取ることで良い気分が強まるからだろう」と述べている。

通常、性差における固定概念は悪い方に働く場合が多いが、ここでは、逆にある意味、女性を良い方向に導いている。

私は人間は「性善説」であるという考えを持つ。その上で、このパンデミックという未曽有の危機的状況下で、今一度人は「自分より困っている人を助ける・思いやる」という心と行動を持つことが必要だと思う。

多くの人達が不自由やストレスに苛まれているのは事実だが、自分のそうした不安はまず横において、他者を助ける、そうすると助けられた人もその喜びを、別の人を助けるという形で、行動する可能性が出てくる。そうなれば、「Helper's highという幸福感」のリレーが生まれて、多く人達が不安から一時的に解放されて、「幸福感の連鎖」が満ちると思う。

勿論人によって「幸福感」は大きく異なるので、全ての人が等しくこの"Helper's high"を感じる訳ではない。どこかの国の現大統領をみていると、彼は生来一度もこの"Helper's high"を味わったことがないとしか、言いようがない人物も存在する。

但し「利他主義や協力、信頼、思いやりなどの向社会的な行動」は、社会が正常に機能するために必須のもので、人類の共有文化の一環ともいえる。

青臭いと言われるかもしれないが、私は今だからこそ、これを深く考えて、行動に移して、幸福感を味わい、多くの人達が心身とも健康になる時だと思う。

Comment

Comment

アメリカの現実①「"I can't breathe"米国の解決されない負の遺産」

IMG_5949 (002).jpg

George Floyd事件が突き付けた米国の現実

5/28(たった4日前の事件)、ミネアポリスで白人警官がすでに手錠を掛けられている黒人男性George Floydの首を、膝で9分間押さえつけて、死亡させた。彼は何度も "I can't breathe, Sir (彼は死ぬ苦しみの中で警官に丁寧にSirという敬語をつけて訴えている)"と言って助けを求めながら、亡くなった(殺された)。彼を殺した警察官は、事件直後解雇された上で、第3級殺人などの罪で訴追されているが、事件を側で見ていて何もしなかった3人の警官に関しては、刑事罰の訴追は発せられていない。その後、この映像を見たアメリカ人の抗議運動と暴動は、全米に広がり、コロナ禍が今も進行中のアメリカは、またしても歴史的な負の遺産である「人種差別」といった、越えられない苦しみで、のたうちまわっている。

誰もが”Enough is enough"だと思っている

各地の暴動は既に多く報道されているから、敢えてここでは触れないけど、大都市以外でも、アメリカに住む以上、誰もがこの事件に強い反応を示している。私が住むSt Georgeは、人口は9万人でユタ州の中では7番目、全米では363番目の大きさのシティで、人種別の人口では白人が88.48%(7万2,727人)を占める。黒人人口は0.82%(670人)と、アジア系の0.89%(728人)と同様に少なく、1%にも満たない。そんなカントリーサイドの街でも、5/30には200人ぐらいの人達が集まり、“All Lives Matter”, “No Justice, No Peace” and “He Couldn’t Breathe,”といったプラカードを掲げて、平和的な抗議行動を実施した。全米で抗議運動が暴動化している訳ではなく、どんな小さな街でも、人々はこの事件を見て、"Enough is enough"という気持ちとなり、これを変えるために何かをすべきだと思っている。

平和的な抗議運動を暴動化にすべく扇動するグループ

また誰もが、この事件を利用して、平和的な抗議運動を、略奪・焼き討ちといった暴動化にすべく、扇動している人間やグループが、存在することを知っている。ミネソタの州知事のTim Walzは、白人至上主義者や麻薬カルテルなどの州外から来た扇動者が暴力をあおっていると非難したが、Trump政権は直ぐにこの問題の大半が「無政府主義の極左勢力である。彼らはAntifa(アンティファ)的な戦術を使っており、多くは州外から来て暴力を促している」と決めつけた。アンティファは、反ファシストだと主張する扇動者のゆるい集まりを指し、彼らは黒い服を着て頭を隠し、他の人に前線を任せ、遠くから警察への暴力を指示することが多い。

暴動化を導く扇動者達の解明は、ぜひ冷静に事実を洗い出し、誰もが視覚化できるヴィデオやその他の証拠を駆使して、解明してほしい。理由は、こうした人種差別に耐えかねた黒人たちが暴動を起こすと、政権は、黒人たちを暴動と略奪を行い、市民生活を脅かす人間としてカリカチュアして、"Law & Order"の強化を図るからである。既に大統領は、この事件を自分の政治的キャンペーンに利用して、暴動を煽る以下のようなTweetsを発している。

"A total lack of leadership. Either the very weak Radical Left Mayor, Jacob Frey, get his act together and bring the City under control, or I will send in the National Guard & get the job done right....."「リーダーシップの完全な欠落。非常に弱い極左のミネアポリスの市長Jacob Freyはすぐに行動して、シティの治安を取り戻せ。そうでないならば、自分が州軍を送って解決する。」

コロナ禍による感染と雇用悪化は、黒人層を直撃している

アメリカは、コロナの感染拡大による雇用の悪化で、4月の失業率は14.7%となり、5月は20%に達する可能性もある。4月の失業率も黒人は16.7%と白人より2.5ポイント高い。コロナ感染においても、黒人の死者数は白人の2.4倍にのぼるコロナ禍が黒人層を直撃している最中に、この事件が起きた。事件の抗議運動の暴動化の一端には、こうした貧困に喘ぐ黒人層の蓄積されたフラストレーションと怒りという心理的な要因も、引き金になっている。更に悲劇的ともいえるのは、暴動によって黒人経営を含むMom & popの小さな店舗も破壊され、ビジネス再開が断たれ、密集した抗議運動によって黒人層に、よりコロナ感染を拡大させる可能性もある。

アメリカで黒人として生きることの意味

CNNの黒人レポーターは、報道許可を取り、警察から指示された場所で生放送を行っていたにも関わらず、生放送の真っ最中に、彼とスタッフ達は警察に拘束されるというコトが起きた。以前Obama大統領は、自分は大統領であるが、例えそうであろうとなかろうと、自分が黒人である以上、言われなき取り扱いが起こる可能性があると発言していた。

ミネアポリスの市長Jacob Freyの以下の発言は、これを裏付けるものである。「黒人として生きることが、アメリカでは死刑宣告に等しいという事態であってはならない、白人警官は人間として根本的な過ちを犯した」

"Being Black in America should not be a death sentence. For five minutes, we watched a white officer press his knee into a Black man’s neck. Five minutes. This officer failed in the most basic, human sense."

人種差別による貧困は、社会を分断し、負の連鎖を継続させる

誰もが「何時になったらアメリカに人種差別がなくなるんだろう?」と考えていると思う。歴史的に見れば、1640年代から1865年のアメリカ合衆国憲法修正第13条が発する前まで、現在のアメリカ合衆国領域内ではアフリカ人とその子孫が合法的に奴隷化されていた。1860年のアメリカの国勢調査では、奴隷人口は400万人に達していたという。この制度がもたらした人種差別の傷跡は、155年経った今でも、アメリカを引き裂いている。

Trump政権を支持する35%が、全て人種差別主義者であるというつもりはさらさらない。ただ問題は、大統領その人の発言や行動が、酷い「人種差別」的な考えの元で、人々の分断化を促進させているのは事実である。これはまさに負の連鎖の継続を促すものである。

アメリカの貧困問題と人種差別は双子状態でついて回っている。今回のパンデミックによって、人の生き方や暮らし方が変わる可能性があるならば、このGeorge Floyd事件によって、負の遺産の「人種差別」に目を背けず、真剣に向き合い、人々のマインドセットを変えることも可能だと思う。AppleのCEOのTim Cookは、この事件に触れて、以下のように、社員に呼び掛けている

"With every breath we take, we must commit to being that change, and to creating a better, more just world for everyone."

Comment

Comment

コロナ禍でのアメリカ生活⑨「歴史を動かす感染症への答えは歴史の中にある」

IMG_8228.jpg

昨日自主隔離中だった英国首相Boris Johnsonの入院のニュース(集中治療室に移動)を目にして、チャールズ皇太子も感染し自主隔離しているというコトを知り、感染症の持つチカラを改めて考えてみた。

様々な感染症が常に世界中を襲い続けているけど、史上最も有名なパンデミックは1334年に始まった「黒死病」と呼ばれたペストで、アジアとヨーロッパで猛威を振るい、2,500万人の死者を出したという。英王室には、こうした悪名高い感染症の悲劇に随分あっている。今朝目にしたNational Geographicの記事によると、以下のよう事例があげられる。

英国王室のペストによる死亡:

1327年即位のイングランド王エドワード3世は、英国王族として初めて黒死病(ペスト)で近親者達を亡くす。1)スペインのカスティーリャ王ペドロ1世と結婚する旅の途中、14歳の娘ジョーンはペストで死亡。2)ペドロ1世の父アルフォンソ11世も、ジブラルタルをムーア人から取り返そうと包囲している最中ペストで死亡。3)1394年エドワード3世の孫息子である国王リチャード2世も妻をペストで失う。4)100年近く後の1492年、エドワード4世の王妃エリザベスがペストで死亡。

英国王室の天然痘による死亡:

1)1552年国王エドワード6世は、14歳の若さで天然痘とはしかに倒れ、すぐに回復したが翌年結核で亡くなった。これにより男性の王位継承者がいなくなり、異母姉のメアリー1世が即位。1558年メアリーが死去すると、王位に就いたのが女王エリザベス1世。2)彼女は29歳の時に天然痘に罹患し、周囲は及び女王自身が死が近いと思ったが、彼女は病を克服した。但し天然痘のために顔に痕が残ち、鉛を含んだお白粉で痕を隠すお化粧をして、イングランドンの黄金時代を築いた。3)1688年無血クーデターの後、夫のウィリアム3世と共同統治していた女王メアリー2世が、1694年天然痘のため32歳で死亡。4)この当時の欧州の君主で天然痘で亡くなったのは、スペイン王ルイス1世(1724年)、ロシア皇帝ピョートル2世(1730年)、フランス王ルイ15世(1774年)など。以下は、女王エリザベス1世 

Darnley_stage_3.jpg

英国王室のインフルエンザによる死亡:

1889年サンクトペテルブルクで発生したインフルエンザ「ロシアかぜ」は、パンデミックとなってヨーロッパ各地に広がった。これは3度ロンドンを襲い、1)1892年の第3波でビクトリア女王の孫で王位継承順位第2位のアルバート・ビクター王子が28歳で死亡、将来の王位は弟のジョージ5世に移る。2)1918年の「スペインかぜ」で、世界人口の3分の1が感染し、死者は5,000万人に上った。その猛威の中で、1918年5月英国王ジョージ5世は回復した。以下は当時のアメリカ軍の野戦病院 (Image: courtesy of the National Museum of Health and Medicine, Armed Forces Institute of Pathology, Washington, D.C., United States.) - Pandemic Influenza: The Inside Story. Nicholls H, PLoS Biology Vol. 4/2/2006, e50 https://dx.doi.org/10.1371/journal.pbio.0040050, CC 表示 2.5, 

Spanish_flu_hospital.png

感染症は歴史を動かす

この英王室と感染症との戦いを見ても、感染症が歴史を変えてしまい、王位継承に重要な役割を担ったことが、垣間見られる。特に天然痘で死にかけた後、後遺症で顔に痕が残ったがゆえに、真っ白なお白粉で痕を隠して、英国の黄金時代を築いたエリザベス1世のことを考えると、アタマが下がる。王位継承権の高い人が罹患して死亡した際は、王家の血筋の違う幹に大きく変わる事実が歴史的に存在する。また、北米大陸の先住民であったアメリカン・インディアンも、南米のアマゾンの先住民も、ヨーロッパから移住してきた白人がもたらした麻疹(はしか)とインフルエンザの免疫を持たないために、一気に人口減少が起こり、歴史から駆逐されていった。

英国皇太子と英国首相はなぜ感染したのか?

通常、欧米人は医療従事者でない限りマスクをする習慣がない、英国要人たちと一般庶民との間の接し方や、政治家同士の閣議や会議でも2m以内の近距離で議論するという習慣が、感染しやすい環境を作っていると思われる。コロナ禍でこれだけPhysical distancingを言われているにも関わらず、皇太子も政治家も濃密な近距離で一般人と接しており、 議論も口角泡を飛ばすといった形で、F2Fでなされている以上、感染の可能性は拡大する。英国首相Boris Johnsonの妊娠中のガールフレンドも症状が出ているというニュースも目にして、本当に人々がPhysical distancingを順守して、2m以上離れて、人との物理的な距離を取るだけでも、こうした感染状況は防げる。

歴史には現在の問題解決の答えがある

感染症(疫病)によって引き起こされるパンデミックは、前回よりは今回、今回よりは次回と、回を重ねるごとに、感染力を拡大し、より強さを増して登場してくる。すなわち想定外を常に巻き起こす、非常に厄介な代物である。但し、だからと言って「過去=歴史」を振り返っても意味がないということはない。歴史には、実はきちんと答えが書いてある。

National Geographicの記事は、このようにレポートしている。2007年学術誌「米国科学アカデミー紀要」(PNAS)に、1918年のインフルエンザ(スペインかぜ)において、市によって異なる対応が病気の蔓延にどのように影響したかを調べた2つの論文が発表された。致死率、時期、公衆衛生的介入について比較したところ、早い段階で予防措置を講じた市では、対策が遅れた、或いは全く講じられなかった市と比べて、死亡率が約50%も低いことがわかった。最も効果的だった措置は、学校、教会、劇場を同時に閉鎖し、集会を禁止することだった。そうすることでワクチンを開発する時間を稼ぎ、医療機関にかかる負担は減った。同論文は1918年のインフルエンザにおいて、死亡率の急上昇を防ぐ鍵は「社会的距離」戦略であったと結論付けている。

そう、兎に角同じ屋根の下に住む人以外とは、顔に何か覆う布をまとい、2mのPhysical distancingを取ることが肝要。

Comment