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アメリカの現実⑮「森発言に関する一考察:ステレオタイプな考えは、いつの間にか偏見や差別へと変容する」

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JOCの森喜朗元会長の発言・辞任といった一連の動きと論議は、実に日本的な流れで、相変わらず「不思議な国ニッポン」が存在していることを、世界に示した。私はこの騒動に関して、当初から女性蔑視という事よりも、森元会長の「一般論ですが」という言葉に、非常にひっかかりを覚えた。なぜひっかかったかを書いておきたい。

「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」

Albert Einsteinは数々の名言を残しているけど、私がここで言いたいことを彼は語っている。

"Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen(常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう)"

ここでいう、18歳というのは「大人になるまで」という意味で、これが16歳でも20歳でもよくて、その人が大人になったという自覚が来る時を、ここでは「18歳」と表現してる。

多くの人達は、社会が容認しているという前提で「常識」という曖昧な表現をしばしば使う。但し、これはある一定の社会で通じる物差しで、当然のように歴史的背景、文化、社会制度が異なれば、その固有の「常識」は通じない。

英語の「Common sense」という語彙の成形を見ると、意味がすーっと入ってくる。「Common(共通)のsense(感覚或いは漠然とした感じ)」という単語で成り立っている。日本語の「常識」という漢字のように「常」という意味は、この「Common sense」にはない。即ち社会の人達が共通な感覚として、漠然として抱いているのが「Common sense」で、それは帰属する社会によって異なり、さらに時代によって変化する。

Einsteinが言いたかったことは、「Common sense」と呼ばれる曖昧な感覚を後生大事に抱えて生きていると、それは結果として「Prejudice(偏見)」に変容してしまうというコトだと思う。但し、これも英語の単語の成形から見ると、「偏見」というよりは「先入観」という日本語の方が適格であるように思う。「Common sense」という曖昧な共通の感覚を持ちながら、相手や物事を見たり判断したりすると、それは「偏った見方(偏見)」になる。

そして当然のごとく、「偏見」も「常識」と同様に、その人が生きている時代と場所によって異なり、また変化していくものである。

私の喉にひっかかる「一般論」という小骨

森元会長が発言した「一般論」という言葉は、私の喉に刺さった小骨だった。「一般論」という言葉は、Einsteinが指摘した「Common sense(共通の漠然とした感覚)」に置き換えられるからである。「一般論」とは、その人の人生における「Prejudice(先入観)のコレクション」であって、誰もが納得できる普遍的なものではなく、往々にしてデータ的な裏付けがなされていない。

「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。(中略)女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困る。」「女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を挙げていうと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」

また、この発言は2月3日に、「女性理事を40%以上にするというJOCの目標に関して質問を受けた」時に出たものである。そのコンテクストを考えると、彼は何らかの答えで、この質問をかわさなければならず、「一般論」という多くの人達が共有している論理という表現をかざして、防衛した。

仮に森元会長が、「これは私個人の見解ですが」と断って、例の発言をしたならば、私は、あえてここで、彼の発言を取り上げなかったと思う。但し、コロナ禍で開催が危ぶまれているこの時期、日本オリンピック委員会会長という立場で、この発言はありえないと思う。当然のように国内外を問わず、様々な論議が巻き起こるのは、必然である。

研究結果が示す森発言の誤り

当初この森発言への反応は、海外の方が早くまた強い批判が巻き起こった。私が取り上げたいのは、Forbesの心理学とジェンダーに関する記事をカバーする記者が、発言の翌日2月3日に指摘したポイントである

彼女は、森発言の2つのポイント「女性はお喋りである」、「女性は競争意識が強い」という点は、過去の調査研究に基づくデータによると事実とは異なる、ステレオタイプな発言と一蹴している。

1) Deborah JamesとJanice Drakichの研究者によると、男女の話す量を比較した56件の先行研究で、女性が男性より話す量が多いと結論づけた研究はわずか2件で、逆に男性の方が発言が多いことを示した研究は34件あった。調査によれば、人の発言が多いかどうかは、性別よりも地位に関係している(発言が多い人は高い地位に就いていることが多い)。さらには、女性が発言をすると、主張が強すぎるとして反発を生むこともある。学術誌Administrative Science Quarterlyに掲載された2011年の論文によると、頻繁に発言する役員が男性だった場合は能力が高いとみなされる一方、女性の場合は能力が低いとみなされる傾向があった。

2) スタンフォード大学とピッツバーグ大学の研究チームによると、「男性の方が競争に対する意欲が高く、誰かと競うことでパフォーマンスが上がることが示されている。男性は競争好きなだけでなく、自分の能力に過剰な自信を持っているため、競争を追い求める傾向にある。」

彼女は、森会長の事実と異なる女性への見解は、彼に限らず多くの人が無意識に思っている「女性はお喋りである」というステレオタイプな考えが一般に根差している点から来ることを指摘している。

社会が「偏見」を容認・黙認していると、それは「差別」へと変容する

こういう発言を、個人の失言として放置或いは黙認してしまうと、ステレオタイプな考え(=偏見)が助長されて、いつの間にか人々の意識下にもぐりこんしまう。そしてそれは「差別」といった形に変容して、思わぬところで、大きく顕在化する可能性が高い。これに関しては、過去自分のブログで何度も触れているので、ぜひ読んで欲しい。

米国には、人種民族、性別、年齢、性的志向性、宗教など、様々な「先入観=偏見」が存在する。理由は、多民族国家であり、移民によって成り立っているという、米国の国家としての特性にある。そのため、国民全員が合意をとれるような共通の感覚は、殆ど存在しない。

だからこそ、過去4年間、前大統領は自分にとって有利になるように、平易で誰もが分かる悪意のある言葉で、米国民の違いをことさら掻き立て、ガソリンをまき散らして、偏見や憎悪に火をつけた。その結果が、1月6日の議会占拠暴動という、米国民主主義の崩壊をも感じさせるほどの出来事の創出である。

日本は、勿論米国とは大きく異なり、顕在化する「偏見」と「差別」が見えにくい社会である。でも顕在化していないだけで、当然のように「偏見」と「差別」は存在し、事実に基づかない「一般論」でそれが助長される可能性を常に秘めており、また助長され続けている。

「異なる者や考えへのRespect(尊敬)」ということを話したい

私は「女性差別」とか「老害」などという言葉を使っていないし、「Political correctness」などといった意識もなく、物事を常にニュートラルに捉えているつもりである。但し、私から見ると、今回の一連の動きには、「異なる者や考えへのRespect(尊敬)」というものが欠落しており、その結果、それから受ける多く恩恵を見逃しているという気がする。この「異論の持つチカラ」に関しては既にコラムで書いたので、ぜひこちらも読んで欲しい。

ここであえて再度「性差」に関する別の調査を持ち出して「異なる者や考えを受け入れるとどんな恩恵があるか」を記す。これは「女性役員の存在は、男性CEOの自信過剰を抑制する」というHarvard Business Reviewの記事からの抜粋である。

役員会に、女性役員がいることのメリットの一つは、視点の多様性が広がることである。これは取締役会における審議の質の向上を意味する。複雑な議題が絡む場合は、このメリットがいっそう顕著になる。なぜなら複数の異なる視点があれば、より多くの情報が得られるからである。

さらに、女性役員は男性役員に比べて(多数派への)同調や迎合をする傾向が低く、独自の見解を表明する姿勢が強い。男性同士のネットワークに属していないからである。したがって女性メンバーがいる取締役会は、企業戦略の意思決定の場で、CEOに異議を唱え、より広範な選択肢と賛否両論を検討するように迫る傾向が強く、それによってCEOの自信過剰が抑制され、バイアスの可能性をはらむ考え方の是正につながる。

森発言の後にこの記事を読むと、実にアイロニカルな調査結果に思える。また別の調査でも、「ROIにおいて、女性役員比率が最も高い企業は、女性役員比率が最も低い企業より、66%も好結果を創出する」というデータもある。

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「偏見」や「ステレオタイプな考え」を、取り除くためには、自らが発言し行動し証明しないと始まらない

勿論、多くの人達の中には、どういう基準で「偏見」或いは「ステレオタイプ」と規定するのか?、それこそ、そちら側の「偏見」だ、或いは「Political correctness」だと、反論する人もいると思う。これは確かにある種センシティブな問題で、誰が発言するかによって、簡単に「偏見」のラベルが貼れる可能性がある。但し、だからといって、容認・黙認していたら、いつまでたっても「偏見」が蔓延り、結果恐ろしい「差別的な行動」を誘発してしまう。

私が26年前米国移住した時、ビジネス経験豊かな米国女性から「日本では苦労したでしょう」と言われて、私は「はて、何のことだ?」と思った。当時の日本のビジネス社会は、男性優位で女性はお茶くみぐらいしか仕事ないと、世界中の人達に思われていた。また彼女達は、日本出張の時に日本男性達の態度に非常な不快感を感じた経験もあった。そんな彼女達は「そこでよくビジネスキャリアを構築した」という点で、私のキャリアを見て驚いた、ということに、私は後から気付いた。もう四半世紀も経っており、法的な平等性は整備されているのに、なぜ今だに日本は変わらないのだろう? という素朴な疑問を、諸外国の人達は感じていると思う。

私が思うことは、諸外国にやいやい言われたからと言って、日本社会の「一般常識」はそんなに簡単に変わらない。「変わらない」というのは、「変える意思がないから変わらない」というコトに他ならない。根本的な問題は、アクティビストだけではなく、一般の日本の女性達が、森発言をどう受け止め、それに対してどう考えて、どう発言・行動していくかだと思う。当事者の意思がない限り、変化は起こらない。

私が、22歳から38歳まで在籍した日本のビジネス社会で、稀有なケーススタディとして、キャリアを構築できたのは、「この閉鎖的な仕組みを変える意思」が自分にあったからである。22歳の私は「お茶くみや雑巾がけ、Faxのない時代のFax代わりとして、書類をクライアントに届けながら、毎日仕事が欲しいと上司に頼み込み、仕事を獲得していった。そしてもらった仕事を人の倍以上働きながら、実績を積んでいった」。私は、当時の「女性は2年勤務して寿退社(結婚のために退社する)」というステレオタイプの考えを変えて、男性と同様に(私の本音は彼ら以上に)キャリア構築するという、強い当事者意識を持って、変革を起こしたと思う。

日本の一般の女性達が「女性への偏見」を変えるべく発言・行動するのを、私は待っている。当然起こるし、起こりつつあると期待している。

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コロナ禍でのアメリカ生活㉛「コロナ禍は我々をタイムマシーンに乗せた」

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今年もあと2日で終わる。何を今年は考えたか?と自問自答しているところ、WSJの記事が目についた。その中でも以下のShopifyの VPのLoren Padelfordの言葉は正鵠を得ている。

“Covid has acted like a time machine: it brought 2030 to 2020,” said Loren Padelford. All those trends, where organizations thought they had more time, got rapidly accelerated.(コロナは、まるでタイムマシンのように2030年を2020年に持ち込んだ。まだ時間がかかると思われていたこれらのトレンドが、今年一気に加速した)”
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確かに今年1年は「個人及び社会において、10年分のデジタル化が進み、一気に生活が2030年レベルに到達した」と言える。4月の娘の結婚式を皮切りに、夫の父親の誕生パーティ、家族のReunion、選挙候補者との質疑応答、自宅が属するコミュニティ・ミーティング、姪のBaby Shower、クリスマスパーティなど、全てをZoomで行い、下は姪のお腹にいる赤ちゃんから、上は89歳の父親まで、当たり前のようにオンラインヴィデオで会話している。私達夫婦は、娘の夫側の家族と初めてZoomで顔を見て話し、夫の父親を含めて80代の親戚は毎週日曜日はZoomによる教会中継に参加している。

私は自宅で週に5日間毎朝ストリーミングによるエクササイズを行い、モバイルによるオンラインバンキングは当たり前になり、過去1年間一度も現金を使わず(非接触)、法的な文書や契約書もeサインで完結している。これは昨年までは中々想像できない浸透度で、オンラインによる消費行動や社会生活は、まるで10年前からやっていたかと思わせるほど、自然に生活に馴染んでいる。

仕事面では、25年間の滞米生活で初めて日本を含めて一切の海外出張がなく、更に飛行機に乗ったのはパスポートの更新でコロラドの日本領事館に行った時のみ。またその日も日帰りだったため、1年間一度も自宅以外で宿泊しなかった。日本のクライアントとのミーティングはオンラインヴィデオとなり、セミナーも全てオンラインで実施した。このデジタル化は、様々な利便性を私の仕事にもたらしている。

それまでは、私が日本に行かないとミーティングやセミナーが実施できないという慣習があったが、今年は私の出張スケジュールに関係なく、気軽にいつでもできるようになった(日米は時差があるので、米国時間の夜中とか朝方にセミナーをやる場合があるのが、ちょっと難点)。

さらに「ひさみっと」と呼ぶオンラインコミュニティを立ち上げて、毎回リアルタイムヴィデオで、ゲストとディスカッションするという中身の濃い日米間のコミュニケーションも可能となった。

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また事務的な面では、請求書は郵送ではなく、eサインをしてメール添付で送れるようになり、クライアントサイドのデジタル化も急速に早まった。

パンデミックが加速化させる「Asset light(資産軽量化)なビジネス」

2020年はビジネス面においては、投資家の資金が「Asset Light(資産軽量化)」のビジネスモデルの企業(Amazon、Carvana、Airbnbなど)及び、これらのモデルにインフラを提供する企業(Zoom、Microsoft、Shopifyなど)に流れ込んだ。デジタル時代においては、当然のように産業機械や工場などの有形資産よりも、アイデアやR&D、ブランド、コンテンツ、データ、人的資本といった無形資産が価値を生む。

この傾向はGoogle、Facebook、Amazonのような巨大プラットフォーム企業の成長に顕著に現れていたが、今年はパンデミックでビジネス上のやり取りが対面からバーチャルに移行し、一段とその流れが強まった。企業は今やオフィススペースや出張にかける費用を縮小し、クラウドコンピューティング、共同作業ソフトウエア、物流管理にかける費用を増額している。

デジタル化は、100年前から進行するプロセスの次のチャプター、即ち「Dematerialization of the economy(経済の脱物質化)」を意味する。農業から製造業に主役が代わり、やがてサービス業へと移行したが、それに伴い、有形物や労力に由来する経済的価値の割合は縮小し、情報や頭脳に由来する価値の割合が増大した。

局地的な疫病であったコロナは、パンデミック化し、全世界に同時に莫大な影響を与えて、デジタル化を半ば強制的に世界中に強いた。言い換えると、コロナ禍は「Dematerialization of the economy(経済の脱物質化)」のAccelerator(加速装置)の役目を果たしたことになる。

こうした流れの良しあしを、私はここで言及するつもりはなく、ただ確かなことは、この潮流が今後も継続していくという点だけは触れておきたい。

「出来ない」というExcuseはもう通用しない

何か新しいことをやる場合、「出来ない」という言葉を使う人がいるが、これを翻訳すると、「新たなことをしたくない」という意味になる。理由は、「失敗を恐れる」、「新たに学ぶことに手間暇かけるのがいやである」、或いは「既存権益を守りたいから」といったことが挙げられる。

但し2020年を経験した私たちには、もうこの「出来ない」というExcuseは通じない。ワクチン投与が始まった今でも、莫大な人達がワクチン接種ができて、予防が確立するまでには相当時間がかかり、その間にもコロナの変異種が生まれるなど、現状が2019年当時に戻ることは考えられない。感染を広げないためにも、「非接触」を中心とする生活は今後も継続していくと思う。

2030年の世界にタイムトラベルした以上、その仕組みの中で、自分にとってより良いやり方を見つけるしかない。時計の振り子は元に戻らず、「出来ない」ではなく「やるっきゃない」という姿勢で、新たなことにチャレンジする、それが2020年を厳しい現実を経た、私達の生きざまである。

私個人として、大好きなセーリングが今年1回もできず、愛艇のKaiyo(海洋)の乗れなかったことが、唯一残念なことといえる。

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それ以外は、このコロナ禍によって、様々な機会が与えられたことに、心から感謝している。家族や友人、さらにクライアントも含めて、離れていても、深い交流が可能となり、実りのある年だったように思う。

365日ほぼ24時間いつも一緒にいた夫に心からの愛と感謝をささげて、明日は2人で静かに良い年を迎えたいと思う。

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コロナ禍でのアメリカ生活㉘「無駄な時こそが最も必要な時間」

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私の毎日の夢物語

私は毎晩夢を見て、毎朝殆どどんな夢を見たかを記憶している。夢の中の色や匂いも克明に覚えており、また夜中に夢の途中で目が覚めてもう一度続きが見たくて戻るという離れ業も、何回か成功している。

夫は毎朝豆を挽いてコーヒーを淹れてくれるが、私はそのコーヒーを飲みながら、夫にそんな夢の話をする。勿論、夫と全く関係のない夢は話さないが、クライアントとのオンラインミーティングの結果とか、セミナーで作成したPPTをなくし落語家のように身振り手振りのみでセミナーを終えたとか、家の前が何故か海でうちのセールボートのKaiyo(海洋)が接岸してあり、大嵐となってボートに乗って逃げだしたとか、色んな話を毎日話す。

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彼は、25年間も毎朝私の夢物語に付き合っているので、通常はふんふんと聞いているだけ。ただ、仕事関連の話が多いせいか「君は昼も夜も24時間働きづめで休みなし。まあ君はそれが好きだからいいけど、君の脳はいつ休暇を取っているんだろう?」と言われた時には、流石にはっとした。

不眠不休の脳にとって睡眠時は己を最適化するための清掃時間

今日読んだ記事のタイトルが、「Why Neuroscientists Say, ‘Boredom Is Good For Your Brain’s Health.’(神経科学者が「退屈は脳の健康に良い」と言う理由)」だった。私は、思わず「おっと、私が最も苦手なことだ(私は退屈な時間を持つことがまずできない)」と思ったが、読んでみた。

脳は24時間365日休暇や休憩を取ることなし「常にOn状態の器官」として、我々が生きるために不眠不休で働いている。脳科学者のJill Bolte Taylorは、脳と睡眠の関係を以下のように説明している

「私たちが持つ全ての能力において、脳細胞は情報をやり取りしている。歩いている時、脳細胞は筋肉に動くよう伝えている。脳細胞は常に働いている。脳細胞は食事をして老廃物を出す。そのため、細胞の間の老廃物をきれいにする最適な時間が睡眠中であり、そうすることで細胞がきちんと機能できるようになる。私はこれを、ごみ収集業者がストライキを行うことに例えている。そうなれば、道がどれほど混雑するかを私たちは知っている。これこそ、脳細胞に起きていることとまさに同じ。体が起きる準備ができる前にアラームで目を覚ませば、脳が求める睡眠サイクルの一部をカットしたことになる。睡眠は脳を活性化させるもの」

Iowa State University の医学誌『Sleep』による調査では、睡眠を制限することで怒りが増幅することが示されており、不眠不休の脳にとって、睡眠時は己を最適化するための清掃時間で、その重要性を指摘する。

何もしないでただ時間を過ごすこと

多くの人達は「何もしないでボーっとしていること」に罪悪感を感じる。これは、社会全体が「仕事(労働)の生産性を重視する」ように作られた現在ならではの、悲しき宿命である。この何もしないで時間を過ごすことを考える時に、面白いのは言葉の語源である。

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フランス語の「Vacances(ヴァカンス)」の原義は「空っぽ」という意味で、英語でいうと「Vacant」となる。これは元々「有閑階級(働く必要のない金持ち)」がすることもなくボーッとしていることの形容だった。それに反して「Travail(トラヴァーユ)」は「仕事」を意味し、語源は「足かせ(ローマ人がガリア征服の際に捕虜につけた内側にトゲがある拷問具を兼ねた足環)」である。

「仕事(労働)の生産性」を考える上で、この語源は、社会が内包する本質的な階級制度を象徴していて、非常に興味深い。私自身は、マグロのように「泳ぐことを止めた瞬間に死んでしまう」性質なため、「何もしないでボーっとしていること」が最も苦手である。自分がどの階級に属するかを、このことからもよく分かる。自分は生涯「有閑階級」には到達できず、1人の労働者で終わると痛感する。

上述の記事によると、「退屈さにより、実は、創造性や業務に取り組むやる気、仕事での生産性が向上する可能性がある」という。

何かをすることをガソリンとすると、何もしないことは生産性のブレーキ。ブレーキがない車はエンジンが燃え尽きてしまうが、キャリアの成功を収める上でエンジンを燃やす必要はない。神経科学者によると、退屈さはこれまで不当に非難されてきた。退屈さにより実は、創造性や業務に取り組むやる気、仕事での生産性が向上する可能性がある。脳の健康のためには時々自分を退屈させることが重要だ。

無駄な時こそが創造的なアイディアの大切な場

また脳には、私たちが何かをすることから解放された状態でオンになる既定のネットワークモードがあることを、社会神経学者らは発見している。退屈さは創造的なアイデアを育てることができ、低下しているエネルギーや仕事におけるあなたの魅力を回復させるとともに、まだ初期段階にある仕事のアイデアを発展させるためのインキュベーション(ふ化)期間を与えてくれる。

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脳は、酷使し過ぎない時に、本当に必要な休憩を得ることができるらしい。何かをしなければならない時には、脳は休めないが、何も考えずにただ海辺を歩いたり、草花を愛でたり、遠くの夕陽が沈むのを眺めるといった、To do listに入っていない不必要な時に休みが取れる。

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コロナ禍で多く人達の気持ちがささくれ立ち、大なり小なり様々な不安が常にどこかに入り込んで、みんな「こうしなければならない状態」なっている。これでは、脳は最適化のための休暇が取れない。

足かせを外してぼーっと時間が過ぎるのを眺めようよ

「足かせ(ローマ人がガリア征服の際に捕虜につけた内側にトゲがある拷問具を兼ねた足環)」を語源とする「Travail(トラヴァーユ=仕事)から、自分を解放するのは、並大抵のことではない。但し、人間としてよりはっぴいに生きるためには、大切な脳を休ませる必要がある。

私自身に関しては毎日の自分の夢を結構エンジョイしており、睡眠不足だと思うことは殆どない。夕食後にカウチで「Pre-sleep」を1-2時間取るのが習慣化しており、ベッドでの眠りは浅いのと深いのが交互に来ているようで、夜明け前に自然と目が覚める。このスタイルは一定しており、願わくば、私の脳は、睡眠時にしっかりお掃除をしながら、休んでくれることを期待している。

ぼーっと時間が過ぎるのを眺めようよ

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Yes, Yes, NOMO! 私とベースボール2001年4月4日の私の想い

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今日このnoteに私が、19年前に書いたコラム「Yes, Yes, NOMO! 私とベースボール」をアップロードします。このコラムは、2003年発行の私の初の書籍『ひさみをめぐる冒険―サンフランシスコで暮らす楽しみ "It's an Adventure -  Hisami Lives America" 』に掲載されたものです。週末ひょんなことからYouTubeで『大リーガー 野茂ー NHKスペシャル 1995年放送』というヴィデオを見て、同じ年に米国移住して来て、思いもよらない様々な困難の中でもがき苦しんでいた私が、メジャーリーグにデビューした野茂に、どれだけ勇気づけられたかを綴っています。手元にこの書籍の電子ファイルの原稿がなかったので、ハードカバーの本を見ながら、タイプを打ち直し、不覚にも涙がこぼれました。3年前に亡くなった母は、この書籍を読んで「一言も言わなかったけど、ひさみはこんなに苦労したのね」と涙ながらに私に感想を語ってくれたことも、思い出の1つです。表紙の写真はゴールデンゲイトの裏側の崖に落ちそうになりながら、プロのカメラマンに撮影してもらいました。

野茂との再会

私とメジャーリーグ・ベースボールの最初の出会いは、野茂がデビューした1995年に遡ります。そのユニークな投法と実力で多くの話題を提供し一躍ブームを作った野茂は、その後ロスアンジェルス(LA)ドジャースから移籍した後は低迷を続けていました。以下のEmailは、そんな野茂の復活に興奮して2001年4月4日、日本の友人に宛てたものです。

ノーヒットノーランで飾った野茂の復活

今、ESPNのTVとウェブを見終わり、やはりこれは野茂に刺激され、ここUSで同じように6年間がんばってきた大柴ひさみとしては報告せねばと思い、Emailしています。すでに速報が入っていると思いますが、野茂がボストン・レッドソックスでのデビュー戦をノーヒット・ノーランで飾りました。これは歴史的な出来事で、彼はメジャーリーグ史上リーグ最速(シーズン開始後最も早い時期4月4日、以前の記録を3日早めた)でノーヒット試合を達成しました。さらに2リーグにまたがるノーヒット投手として、ノーラン・ライアン、サイ・ヤング、ジム・バニングという球史に残る名投手に続く史上4番目の席を手に入れました。またボストンのカムデンヤーズ球場に、最初のノーヒット・ノーランゲームをもたらすという数々の記録を、今日達成しました。

私がなぜこんなに喜んでいるかというと、ESPNのアナウンサーが「だからベースボールは面白い。過去3年間苦しんでいた偉大な投手野茂が、移籍したデビュー戦でこんなエキサイティングなピッチングをする。毎日さまざまなドラマが、たくさんの球場でうまれるんだ」という興奮したコメントを聞いたからです。このアナウンサーの声と表情には、外国人プレイヤーを特別視せずひとりのメジャーリーガーとしてきちんと尊敬している態度がにじみ出ており、野茂以上に彼の新鮮な意見がとても嬉しく思えました。

1995年、野茂と私がアメリカに来た年

野茂がメジャーリーグにデビューした1995年、私も38歳でアメリカにやってきました。現在サンフランシスコ(SF)のランドマークとして有名なジャイアンツのホーム球場のパックベルパークの建設以前で、ジャイアンツが、SFから少し南に下った強風で有名なキャンドルスティックパークでプレーしていた頃です。ベースボールファンの夫に連れられて早速メジャーリーグ初観戦。当日は、何とマッシー村上(最初の日本人メジャーリーガー)の記念試合で「SFジャイアンツ対LAドジャーズ」、さらに先発が野茂というまさに絵に描いたようなお膳立てした。私は、試合前の国歌斉唱の時にマウンド上に立つ着物姿のクラシックのソプラノ歌手を見て驚き、彼女が「星条旗よ永遠なれ」を歌い始めてこの着物と米国国歌の不思議な組み合わせに、アメリカに住む自分の姿を見たような奇妙な感覚を覚えました。その後村上さんによる始球式、さらに審判のプレイボールの声の後に登場した野茂の投球を見て、私の奇妙な興奮のボルテージは上がりっぱなしとなりました。

メジャーで成功した野茂に続け

試合は、トルネードの威力そのままにドジャーズが勝ち、通常ドジャーズに異常な敵愾心を燃やす地元ジャイアンツファンも(この関係は昔の巨人・阪神戦みたいな関係です)、野茂の魅力にかなり参っていたのを覚えています。まだアメリカに来たばかりで英語や文化習慣に戸惑っていた私は、試合終了後「野茂みたいに絶対にがんばって、アメリカのビジネスのメジャーリーグで成功するぞ」と心に誓ったものです(ファンレーターをドジャーズ宛てに出して、球団の広報から必ずこの手紙は野茂に渡すという返事が来ました。彼は読んだのかしら??)。野茂はその年新人賞を獲得し、1997年メジャーリーグ史上最速の500三振を達成するなど小さな子供でも「NOMO」の名前を知っているといわれるぐらいに、超有名プレーヤーとなりました。彼の持つ力は、日本人であるモノ珍しさを超えてメジャーリーグの実力のある投手として評価されており、そこが当時の私を大いに勇気付けてくれたものです。

一朝一夕でメジャーリーグでの成功はありえない

今回の復活ともいうべきこのノーヒット試合も6年間山あり谷ありの中、野茂が黙々とここアメリカで投げ続けた結果だと思います。1996年のノーヒット」試合がフロック(運が良かった)とはもちろんいいませんが、今日の試合の重みはそれ以上です。試合後のいつにもまして無表情で淡々とした彼の表情には「あたりまえだよ。しっかりキャンプで準備してきたんだから」といっているような、ホンモノの余裕を感じさせるものがありました。猫の背伸びみたいなトルネード投法も、個性を尊ぶアメリカでは大いに人気を博し、野茂の無駄口をたたかない「Zen Likeな態度(禅のような・神秘的な)」は、今年大いにべースボールファンを楽しませてくれることを予感します。

底知れぬ不安感と暮らしていた当時の私(2002年11月6日)

このEmailを読み終わって、どれだけ米国移住当時の私が外国生活そのもののプレッシャーの中で生活していたのかを実感しました。もし1995年野茂がメジャーに来て活躍しなければ、独立して自分のビジネスをはじめるというチャレンジングな発想も生まれなかったかもしれない、ふっとそんな思いもよぎります。自分と野茂を等身大ではかるのはおこがましいかもしれません。ただ米国移住当時の私は16年間日本でビジネスをやってきた人間としての自負はあったものの、それを本当に異国の地で活かせるのだろうかという底知れぬ不安感に、常にさいなまれていたような気がします。彼のドジャーズ移籍後の不振も、自ら就職やビジネスがままならなかった頃と重なり、彼がそれをプロとしてひとつひとつ克服してきた姿に、本当に勇気付けられました。

日本人云々という気負いが抜けた時

その後米国生活に慣れるに従い、ビジネス上での日本人云々という気負いが徐々になくなり、知らぬ間にベースボールの見方も日本人に注目する態度から、地元のチームを応援する熱心なベースボールファンというふうに変化してきました。その間イチローの大活躍、新庄のSFジャイアンツへの移籍など、いろいろな日本人選手の活躍もありましたが、今はひたすら地元ジャイアンツがワールドシリーズに出られることを夢見ています。先日もパックベルパークに日本からの知人を連れていった時に、間違って車でマスメディア用のゲイトに入ってしまい、ちょうど監督のダスティ・ベイカーが球場入りするところに遭遇しました。ダスティのファンである私は、思わず彼に声を掛けて気軽な立ち話を彼とする機会を得ました。あまりにも大胆で自然な私の態度に驚いた知人は、彼を個人的に知っているのか?と聞く始末で、特に個人的に知らないけど、彼はとってもフランクに答えてくれたよと返事をしたら、知人の目は点になっていました。

ベースボールの中に、アメリカの家族のあり方を見る

ベースボールは、他のプロスポーツと異なり家族で楽しむスポーツとして、アメリカ人のライフスタイルを代表しているような気がします。ボールパーク(球場)では、おじいちゃんやおばあちゃんが、孫や子供と一緒にグラブを片手にスコアボードをつけながらゲームを楽しんでいる光景を多く見かけます。またチームが深く地元のコミュニティとつながっているので、地元ファンへのサービスや優遇制度、チャリティ活動への貢献など、チームは地元と一体化するためのイベントをたくさん行っています。9月28日ジャイアンツがナショナルリーグのプレイオフ出場の資格を獲得した日、バットボーイとして働いていたダスティの息子は、まだ4歳ぐらいで、バットの長さと同じ位の身長でよろよろしながらバットをダックアウトに運んでいました。ダスティは、試合終了後その小さな息子を抱き上げて、お祝いのシャンペンがけのパーティルームへ入っていきました。こういう光景は、とても攻撃的なフットボールやバスケットボールの世界では考えられないものです。

私がベースボールを好きな理由はそこにあります。ホットドッグをほおばりながらベイの潮風に吹かれて、ファンとプレイヤーをさえぎるフェンスがほとんどないボールパークで地元チームを応援する。この良さは、アメリカ生活の醍醐味です。ダスティと自然に会話ができた理由は、ここにあるような気がします。

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