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アメリカの現実④「人種差別を考えるためには、まずは155年前の歴史に遡って考える必要がある」

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なぜ今南部連合を象徴するものが撤去されているのか?

過去数日のうちで、アメリカではThe American Civil War (米国南北戦争)時のアメリカ連合国(CSA: Confederate States of America-南部連合)の記念碑や象徴する銅像が何十体も撤去された。これに付随するかのように、スポーツ、エンタテイメントの業界でも、警察や人種差別、南部連合を象徴するようなモノやコトが停止或いは削除されつつある。

NFL(プロフットボール)のCarolina Panthersは、6月10日元オーナーのJerry Richardsonの像を撤去した。彼はチームの社員に対して性差別的、人種差別的発言をしたと非難された後、自ら創設した同チームを2018年に売却している。HBO Maxは、南北戦争時代を描いたクラシック映画「Gone With The Wind(風と共に去りぬ)」の配信を停止し、Paramount Networkは、警察密着ドキュメンタリーの長寿番組「COPS」の放送をキャンセルした。また、A&E Networkは6月10日、同局で最も人気がある警察密着リアリティ番組「Live PD」の放送を中止すると発表した。

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自動車レースのNASCARは、長年レースで多く見られた「Confederate flag(南軍旗)」の使用を禁止するにあたり、「全てのファン、レース参加選手と業界に対して、誰でも歓迎し、受け入れる環境を提供するという、我々のコミットメントに反する」と述べた。NASCARのフルタイムのドライバーで、ただ一人のアフリカ系アメリカ人であるBubba Wallaceは、レースでの南軍旗使用に反対を表明、彼のレースカーの後輪の車体部分には6月10日「#Black Lives Matter」が書かれた

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さらに奴隷制度を連想させるバンド名であるとして、グラミー賞を5回受賞している人気のカントリーのバンドのLady Antebellum(レディ・アンテベラム)は、バンド名を「Lady A」に変更した。過去14年間彼らが使ってきたAntebellumには「南北戦争以前」という意味があり、彼らはそこに「奴隷制度も含まれるという事実を考慮していなかった」と、Twitterで謝罪した。この言葉をバンド名にした理由について、「最初にバンドの写真を撮ったのが南部の“Antebellum”スタイルの家であり、この言葉が自分たちに影響を与えたサザンロックやブルース、R&B、ゴスペル、カントリーなどの南部の音楽を思い出させてくれるから」とバンドは説明する。彼らは、バンド内で話し合い、黒人の友人や同僚の意見を聞いて上で、バンド名を変えることにしたという。

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南北戦争とCSA(南部連合)

日本の人はあまり深く「The American Civil War (米国南北戦争)」に関することを、学生時代に学んでいないと思うし、関心もそんなにないと思う。多分年齢の上の世代は、第2次世界大戦に敗戦して、日本の戦後の焼け跡の復興で見た、北軍に負けた南部人を描く映画「Gone With The Wind(GWTW: 風と共に去りぬ)」に、自分達を重ね合わせて、共感を持って見ていたと思う。GWTWの中で描写される黒人奴隷は、大農園の主人達に家族のように扱われているが、現実では生涯にわたって無償労働を強いられ、人間としての自由と権利を奪われた奴隷という風には描かれていない。

アメリカ連合国(CSA: Confederate States of America - 南部連合)は、アメリカ合衆国政府(the Union - 連邦)からは承認されていなかったが、1861年から1865年の間、共和制国家として存在していた。CSAは、南部のサウスカロライナ、ミシシッピ、フロリダ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナ、テキサスのという7つの分離派のSlave States(奴隷州)によって形成されて、経済は綿花を中心とした農業と黒人奴隷の労働力によるプランテーション制度に大きく依存していた。1861年11月の大統領選挙で共和党候補者Abraham Lincolnが、西部地域への奴隷制度の拡大に反対の立場をとっていたため、奴隷制度の存続が危ぶまれていたことを確信したCSAは、連邦への反発から離脱を宣言した

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Lincolnが1961年3月に大統領に就任する前の2月に、アメリカ合衆国政府から違法とされていた連合国新政府が発足し、初代大統領にJefferson Finis Davisが就任した。4月に南北戦争が始まると、アッパーサウスの4つのSlave States(奴隷州:バージニア、アーカンソー、テネシー、ノースカロライナ)も脱退してCSAに加盟した。後にCSAはミズーリ州とケンタッキー州を南軍の一員として受け入れたが、いずれも公式に離脱を宣言したわけでもなく、連合国軍の支配下にあったわけでもなかった。

南北戦争がもたらしたもの

1861年4月から始まった南北戦争は、1865年5月に北軍の勝利で終わった。アメリカ合衆国の歴史の中で唯一の内戦で、死者数は諸説あるが約62万人と、アメリカが経験したすべての戦争の犠牲者を合わせた数よりも多い。兵器の技術は進歩していたが、社会制度はあまりにも未熟で、死体は放置されて埋葬できず、腐乱した死体はチフス菌などの伝染病を発生させ、実際の戦場以外にも広がっていった。

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南北戦争の原因

原因は、端的に言うと、北部と南部の経済基盤となる産業の差異と、それにともなう「黒人奴隷解放」の問題である。北部諸州は近代工業化を進め、保護貿易による国内産業を優先して、労働力を欲しており、黒人奴隷解放が自分達の利益になると考えていた。一方の南部諸州は黒人奴隷の労働力に支えられた大規模綿花栽培のプランテーションによって綿花をイギリスに輸出しており、自由貿易を望んでおり、黒人奴隷解放は経済基盤を揺るがすことにつながり、許容できるものではなかった。

南北戦争のその後(以下は複数のWikiからの抜粋)
1865年戦争終了後、南部連合国の各州は、奴隷制を禁止するアメリカ合衆国憲法修正第13条を批准した後、復興期に北部連邦に再加盟した。CSA崩壊後の南部ではUSA政府による「Reconstruction(再建)」が開始されたが、一旦合衆国を脱退した南部諸州の復帰と数百万人の解放奴隷の処遇をめぐって紛糾した。Andrew Johnson大統領は南部宥和政策を採り、特赦により南部の地域指導者のほとんどが公職復帰した。しかしその後、南部各州で黒人の取締法が制定されたり、黒人や奴隷解放論者に対する暴力が横行したため、共和党が多数を占めるUSAの連邦議会で1867年軍事再建法が制定され、南部は軍政下に置かれ、旧指導者は再度公職追放された。合衆国軍の支配下で南部の再建州政府は経済基盤の再建、産業再生、黒人の政界進出などを図ったが、黒人への土地分配は思うように進まなかった。南部白人はKu Klux Klan(クー・クラックス・クラン)など秘密結社を作り、武装抵抗や黒人への暴力を継続した。

やがて北部も南部の人種的平等や再建への関心を失い、南部では民主党が相次いで政権を奪取した。1877年に再建半ばで合衆国軍が北部へ撤退したあとは白人が巻き返しを行い、民主党に白人が結集して「Solid South(堅固な南部)」と称される民主党支配を築き上げ、南部各州の黒人は再び政治的・社会的権利を失い「どん底時代」と呼ばれる抑圧の時期が訪れた。公職に復帰した白人達は、Jim Crow laws(ジム・クロウ法)など、「分離すれども平等」と称する、差別を合法化する法律を多く制定し、結局南部の黒人が本当の意味で「解放」されるのは1960年代になってからである。1950年代に始まった公民権運動が、1964年に「The Civil Rights Act of 1964(公民権法)」制定という大きな実を結び、この法律によって(少なくとも公的には)黒人に対する差別は終焉を告げた。

CSA(南部連合)政府のイデオロギーに明解に表現されている白人優位主義

あえて、南北戦争のその後を長々と書いた理由は、今、アメリカで起きている人種差別への強い抗議運動は、これらのアメリカの歴史を振り返らないと、リアリティとして感じられないと思い、あえてここで列記した。また、それを踏まえた上で、以下の1861年のCSAの副大統領のAlexander Hamilton Stephensの「The Cornerstone Speech」と呼ばれるスピーチを読むと、何故、今George Floyd事件がトリガーとなって、全米で人種差別への抗議運動がおこり、長年見て見ぬふりをされてきた「南部連合の象徴」を取り除く行動が、各所で起きているのかが理解できる。彼は以下のように、白人優位主義に基づいたイデオロギーを宣言した。

"Its foundations are laid, its cornerstone rests upon the great truth, that the negro is not equal to the white man; that slavery—subordination to the superior race—is his natural and normal condition. This, our new government, is the first, in the history of the world, based upon this great physical, philosophical, and moral truth." 「黒人は白人と平等ではないという偉大な真理に基づいており、奴隷制、つまり優越的な人種に従属することが、自然で正常な状態である。我々の新政府は、世界史上初めて、この偉大なるフィジカル、フィロソフィカル、そしてモラルのおける真理を元にした政府である」

私は、このイデオロギーを見て、時代が違うとはいえ、こういう考え方で、アメリカ合衆国連邦から離脱して、CSAが独立国家を作ったというコトに、改めて驚愕した。またここでは、黒人奴隷を念頭において、白人優位主義を誇示しているが、彼らのアタマにあるのは、当然自分達白人以外の有色人種全てを想定している。1869年に開通した初の大陸横断鉄道建設では、中国人の移民が奴隷のように使役されたコトを考えれば、アジア系移民の私の首筋もうすら寒くなる。

人種問題は合法化されたゲイマリッジのように、解決の方向性が見えるのか?

Duke Universityの公共政策の大学教授で、社会科学研究所の所長を務めるDon Taylorは、以下のように「Confederate symbols(南部連合の象徴)の問題はGay marriage(同性愛者の結婚)の問題に似ている」を発言している

“It feels to me, with Confederate symbols, a bit like the gay marriage debate, where it seemed impossible, impossible, impossible, and then all of a sudden there was a huge shift in public opinion on it” 「南部連合の象徴の問題は、ゲイマリッジの問題とやや似ている気がする。(変えることは)全く不可能と常に思われてきたものだったが、突然一般市民の意見が大きくシフトしたという点が共通している」

確かにゲイマリッジに関しては、長い間宗教上の教えやコンサーバティブな考えを持つ人達から根強い抵抗があったが、パブリックの声は年々大きくなり、結果2015年6月26日、合衆国最高裁判所は「法の下の平等」を定めた「アメリカ合衆国憲法修正第14条」を根拠に、すべての州での同性婚を認める判決をだした。これにより、同性婚を禁止する州法は違憲であるという判断を下し、同性婚が合法化された。

但し、同性婚の問題とはとても比較にならないほど、黒人への差別には、長い歴史の中で多くの血が流れており、それが今も続いているという現実がある。

George Floyd事件が起きてから、既に3週間経つが、その間全米での抗議運動は収まらず、またGeorge Floydと同様に、犯罪が確定されていない黒人が、警官に殺されるという事件も起きている。6月12日、アトランタの警察は、ハンバーガーチェーンのWendy'sのドライブスルーで、運転手が居眠りをしているという通報を受けて、駆け付けた。警官は、 27歳のRayshard Brooksをアルコール検査をしようとして、彼と揉みあいとなり逮捕しようとしたが、彼の抵抗にあって結果発砲して、Brooksは死亡した。アトランタ市長は、これは正当な武力行使とは言えないとして、アトランタ市警の署長の辞任を発表した。

Tipping  point(臨界点)を迎えつつある人種差別問題

私がここで書きたかったことは、1865年に南北戦争が終結して、155年が経った今でも、アメリカはこの人種差別問題で、のたうちまわっているという現実。1964年公民権法が制定されて、法的には誰もが法の下で平等であるはずが、アメリカ社会の人種における不平等は是正されず、そのままま放置されて、富の格差拡大と共に、貧困と差別が、黒人層を押しつぶしているという現実。今回のコロナ禍の中で起きたGeorge Floyd事件は、それを炙りだし、黒人白人などの人種を問わず、市民の誰もが、そのアメリカ社会の酷さを視覚化してしまったこと。これらは、私が冒頭にあげた南部連合の象徴の撤去にもつながっていく。警官の黒人に対する行動には、明らかな人種差別が存在し、その根っこには、奴隷制度まで戻って、社会に根を張っている白人優位主義に突き当たる。

歴史は勝者によって書かれるというが、その歴史もその時々の勝者が、すり替え、書き換えようとする。21世紀に入ってすでに20年が経つ今、勝者のみに歴史をいじらせるという時代は終わりを告げ、誰もが情報にアクセスし、情報の検証を行えるツールが存在し、それを広めるプラットフォームもある。今アメリカが抱えるこの「Systemic racism(アメリカの社会、経済、政治的プラクティスに、制度的に大きく組み込まれた人種差別)」という負の遺産を、個々人がそのプラクティスから引きずり出し検証して、より良い方向で解決しようという意欲が生まれてきているような気がする。特にMillennials やGeneration Zといった米国人口の半分を占める若い層を見ていると、人種差別問題は、或る種のTipping point(臨界点)に差し掛かっているような気がする。

今回の市民の抗議行動と人種差別への再認識や再考といった動きが、全ての問題を一気に解決するとは思えない。だが、問題を視覚化した市民の多くがこれを真剣に考えているということは、評価すべきだと思う。どんなに困難な高い山でも、その山を越えて、向こう側に行くためには、一歩一歩上るしか方法はない。例え、155年或いは200年経とうが、問題が改善される方向で動くのであるならば、その時間は無駄ではないと、私は思う。

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アメリカの現実③「米国に起きた警察の軍事化とは?」

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「なぜ米国の警官は軍隊のように武装しているのか?」

日本に住んでいる人は、米国のGeorge Floyd事件によって広がった全米規模で拡大する市民の抗議行動と、それに対峙する警官との異様な構図に首を傾げる人も多いと思う。警官の武装の物々しさと、軍事行動とも思えるほどの態度、さらに平和的な抗議行動をとる市民達への催涙ガスやゴム弾による威嚇など、通常の日本の警察の常識から考えたら、あり得ないほどの過激さである。20代とおぼしき若い女性は突き飛ばされて、道路の溝にぶつけられて骨折し、75歳のシニア男性も突き飛ばされて、頭部を打って昏倒したまま置き去りにされるなど、ヴィデオを通じて描写される米国の警官達の無表情で攻撃的な行動は、理解しがたいものがある。

軍隊から警察にトランスファーされた大量の武器

1033プログラム」の下で、1990年から2017年の間、およそ60億ドルの金額に上るアイテムが、United States Department of Defense (アメリカ国防総省)から警察にトランスファーされた。「1099プログラム」とは、1990年に開始された国防総省の余剰武器処分計画プログラム。連邦政府の余分な武器を州政府および地方自治体を通して、地元警察に配送することを認可したもの。これには「controlled items (例:ドローンやヘリコプターなど)」と、「uncontrolled items (例:家具やツールなど)」といった、ラップトップから自動小銃まですべてのアイテムが含まれる。2018年のRANDの分析によれば、2015年から2017年の会計年度では、トランスファーされたものは、uncontrolled itemsは12億ドル、controlled itemsは7億7500万ドルの価値に充当する。

以下は、RANDによる2018年の国防総省から警察にトランスファーされたアイテムを実際に購入した場合の内訳であるが、総額は18億ドル8900万ドル以上となる。内訳は以下の表にあるように、MRAP(耐地雷・伏撃防護車両 )849台(約5億8300万ドル)、エアクラフト458台(約4億3300万ドル)、輸送トラック5608台(約2億8500万ドル)、5.56mmライフル6万4689丁(約2800万ドル)といった莫大の数および金額の元軍隊の使っていた武器が警察に渡った。

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「1033プログラム」とは?

1033プログラムは、1990年当時は主に麻薬犯罪に対抗する警察官を援助する為開始されたプログラムであったが、2001年9月11日のテロ攻撃後、連邦政府の反テロ対策の一環として警察を軍隊化するために、大幅に拡大された。

2014年ミズーリ州のFergusonで白人警官による18歳のMichael Brownの射殺事件が起きた、大規模な抗議デモが発生し、その鎮圧のために重装備の警察が出動し、市民から多くの非難が起こり、これを受けた当時のObama大統領は、1033プログラムの1部を改正した。しかし、2017年大統領に就任したTrump現大統領がプログラムを再開した。

勿論今回のGeorge Floyd事件への抗議運動に対して、警察は1033によって軍隊から提供された武器を市民への威嚇に多く使っている訳ではない。ただ、Trump大統領の「地方自治体の警察に対して、治安維持のためならば、警察の軍事的行動も必要」というメッセージを裏付けるように、警察は市民に対して、MRAP、閃光手榴弾、催涙ガス、ゴム弾、防弾チョッキ、ヘルメットなどを使って、威嚇しているのは事実である。

警察の黒人コミュニティへの日常的な締め付けを、今回は全てのアメリカ人が目撃してしまった

警察の軍事的な威嚇は、日常的に黒人コミュニティで行われている。例えば黒人に対して令状を執行して家宅捜査をする際、ただ単に逮捕するのではなく、Mallet(破城槌)や装甲車、暗視ゴーグルなどを使って強制捜査を行い、犯罪に使われた可能性がある金銭や物品を押収する。多くの警察では、押収された金品を売って警察の予算として使うことが許されている。そのため、武装化は警察の予算確保にとってなくてはならないものになっているという分析もある。

George Floyd事件によって、黒人以外のコミュニティはこうした警察による軍事的威嚇行動を、自分事として可視化してしまった。これは、貧困層や黒人コミュニティのみに起こるものではなく、自分達もいつこうした警察の攻撃を受けるかもしれないという恐怖と不安を創出した。

警察官の恐怖を取り除くための武装化が、警官を市民の敵にしてしまった

警察の軍事化の背景にあるのは「警察官の安全のため」という考えだが、種々の調査で、銃乱射などの限られた状況をのぞき、軍装備は必要ではないという結果が出ている。また州のSWAT(警察特殊部隊)に関しても、多くは警察がSWATを主にマイノリティのコミュニティに対して使っていることと、SWATが暴力犯罪率や警察への暴行、警察官の死を減らすという証拠は発見されていない。むしろ、SWAT使用は住民の警察への資金援助や支持を減らし、人々がコミュニティの中で感じる危険の量を増加させているというコトも言われている。

実際、重装備は警官を安心させるが、そういった鎧で固めた姿で、平和的な市民に対峙した時に、どこまで警官は市民に落ち着いて話せるか? また市民は彼らの姿を見た時に、自分達を守るのが警官であるというコンセプトを見出せるか? 答えはどちらに対しても「No」である。

マインドセットを変える難しさ

人間はユニフォーム(制服)を着ると、なぜかそのチームと一体化して、個人として考えや行動が金縛りにかかったように出来なくなる。ユニフォームにはそのような効果があり、施政者はユニフォームによって、個人の考えを抹殺しようとする。警察の軍事化は、ユニフォームではなく、軍隊が使うような軍備を装備して、警官に戦争において外国勢力と戦う軍人的な行動を強いて、市民達に対峙するように示唆する要因になりうる。

1に1人の警官は、様々な問題を多角的に考えることができる個人だと思う(思いたい)。ただし、一旦ユニフォームを着て、重装備をした軍人のような姿になった途端、マインドセットは変化する。また、もう1つ考えなければならないコトは、彼らの意識、あるいは無意識下の潜む「人種差別、即ち自分とは異なる人達への嫌悪と恐れ」である。彼らは、麻薬犯罪撲滅と言いながら、自分達が簡単に抑え込める黒人コミュニティに出かけて行って、点数を稼ぎたいという気持ちも存在する。それでも、今は21世紀である。そういったマインドセットから脱却したいと思う警官も多く居ると、私は信じる。

私はアメリカがTipping point(臨界点)に達したという風に思いたい、例えそうでなくても

長年蓄積された気持ちというのは、一朝一夕には変えられない。但し、そうした蓄積もある種の「Tipping point(臨界点)」に達すると、いきなり人間の気持ちや行動は変わっていく。George Floyd事件に対する抗議運動は、アメリカ人に「人種差別」という、400年間の米国の負の遺産の連鎖を断ち切るための、ある種の臨界点に達したことの証であると思いたい。例え、まだ達してなくても、そこに向かう必要があると実感レベルで感じた人は少なくないと思う。

11月の大統領選挙はアメリカ人とってのFundamental choiceである。

「Is it Trump or America?」

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書籍『ひさみをめぐる冒険』から「海からの漂流者」2002年6月5日のコラム

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これは18年前に書いた私のコラム「Sailing-海からの漂流者」。このコラムは、2003年発行の私の初の書籍『ひさみをめぐる冒険―サンフランシスコで暮らす楽しみ "It's an Adventure - Hisami Lives America" 』に掲載されたもの。興味のある方は読んでみてください。

海からの漂流者

昨日(2002年6月4日)遅く10日間のメキシコのSea of Cortez (Gulf of California)のセーリングのバケーションから戻りました。La Pazで過ごした10日間はまったく別の惑星にいたような気分で、まだコンピュータの画面を見ていると揺れてきます。

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サンフランシスコ空港(SFO)に着いた時は、ベイエリアの人と車の多さに呆然として、海からの漂流者のように、ポカーンとしていました。

海水で食器や身体を洗い、40度Cの暑さと砂漠の乾燥、また夜になるとボートを吹き飛ばすように激しく吹き始めるCoromuel(南西の風)のために、デッキの上で毎晩必ず誰かが寝ずの番をしながら見守る海上生活。マングローブのラグーンで蜂に襲われ(幸運なことに蜂とは正面衝突しましたが、刺されなかったので顔にちょっと傷ができただけですみました)、鯨やイルカがボートのすぐ横でジャンプしたり、ダイブしたりするのを見ながら一緒になって嬌声をあげ、アザラシのコロニーのすごい鳴き声に耳を塞ぎながら、大いに野生の海生動物たちを楽しみました。またカイヤックやシュノーケリングで無人の島々のビーチやリーフを垣間見て、自然の中で生活する喜びを堪能し、今も海に沈む夕陽の美しさが目に焼き付いています。

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Simple is Best(シンプルが最高)

できり限り人工的なリソースを使用せず、あるものだけで生活する術も習い、今回のバケーションは私にとってまたひとつの発見の旅であったような気がします。Sea of Cortezに浮かぶ水のない小さな島に住む10人に満たない漁村や、半島内部の異常に乾いた土地にオアシスのように存在する小さな町など、普段考えもしない生活を目の当たりにして、今自分の生活を振り返っています。

Simple is Best(シンプルが最高)、つくづくこんな言葉が全てを物語っていて、自然の豊かさと雄大さに感謝と畏敬の念でいっぱい、そんな感じです。帰宅後にたまっていた550通のEmailを見て、普段自分がいかにスポイルされているかが、本当に実感できました。

チャーターボートによる10日間のセーリング

今回のバケーションは、夫が所属するヨットクラブのClub Nautiqueが主催するツアーでした。今年の初めに募集告知が出され、最終的に夫と私を含む3組のカップル(6人)が応募して、クラブのインストラクターのエリザベスがスキッパー(キャプテン)としてグループを引率することが決まりました。その後出発の1ヵ月前から、メンバーの顔合わせとバケーション中のセーリングのコースやアクティビティ検討のための会合が開かれ、また事前にお互いの親交を深めるためにディナーも開催されました。確かに全く知らない人間同士が、7日間ボートの上で食料や水を持ち込んで共同生活するのですから、事前の準備は周到にされるべきです。

ただ漠然とバケーションを考えていた私は、食事や飲み物の種類や量の事前予約、衣類や安全装備、所持品の確認など、さまざまな準備に費やす時間とエネルギーに驚き、さらに今回の旅行は自然の中で暮らすサバイバル生活に似た危険を伴うものであることも改めて認識しました。

特にSean of Cortezの島々は、自然保護の下に環境破壊につながる人工物の持ち込みは一切禁止されています。そのため食器や身体を洗う洗剤はすべてオーガニック、プラスティック類はすべて持ち帰るという規則なので、ボートの中ではいかにごみを出さないか、さらにいかに持ち帰りのごみを収容するかが大きなポイントとなりました。

セーリング三昧の引退したシリコンバレーのミリオネア

参加した3組のカップルは、各々個性的なキャリアと経験をもつセーリング好きの人たちです。その中のひとり50代後半のグレッグは、ポーランド生まれでスウェーデンからアメリカに移住し、初期の頃のシリコンバレーでコンピュータチップのビジネスで成功を収めたミリオネアです。

彼はビジネスの世界からリタイアして、生活をどんどんセーリングにシフトしている最中です。グレッグのボートは、ヨットと呼ぶのにふさわしい100万ドル以上の価値のあるフランス製の美しいJeanneau 52です(通常アメリカでは日本で「ヨット」と呼ぶ船を「ボート」と呼んで、非常に高価な船を「ヨット」と呼びます)。彼はベイエリアとスウェーデンにヨットを持っており、平均的なベイエリアのSailor(船乗り:日本では「ヨットマン」と言う言葉は、アメリカで使いません)とは違うレベルで、セーリングを楽しんでいます。すでにメキシコにセーリングのチャータービジネスのための土地を購入しており、後半生は全てをセーリングにつぎ込む予定です。また彼はこれから家族と一緒にSFから南太平洋へ半年間の航海に出かける予定で、その準備を楽しそうに語っていました。

夫をすっかり気に入ったグレッグは、飛行機代も食事代もすべて出すからぜひCook Islandsへひさみと一緒に飛んできてほしい、一緒にトンガやタヒチを回ろうと、真剣に夫を誘っていました。夫は、3ヵ月間の南太平洋無料セーリングの申し入れに気持ちがフラフラとなったらしく、考えてみると答えたそうです。

家族のようになったバケーション仲間

また元Navy(海軍)でベトナム戦争の経験のある50代半ばの弁護士ボブは、今後は歴史の先生になるためにPh.D(博士号)をとろうとスタンフォード大学で勉強している最中です。彼の妻のジーンは、ドットコムサバイバーとも呼べるスタートアップ企業の副社長で、異常に忙しくストレスのたまる仕事しながら、セーリングの時だけは全てを忘れて自然を楽しむ料理好きな女性です。

Sea of Cortezでは夕陽が沈んだ後は、いつもこういうStory Teller(物語を語る人)たちが、順番に世界中で経験してきたさまざまな出来事を話し始め、食事とワインがどんどん進んで興味深いストーリーに満ち溢れたディナータイムでした。セーリングが好きという共通点だけをもつ他人同士の7人が、狭いボートで7日間暮らすことに、最初はちょっと遠慮や気づかいがありましたが、2日3日と過ぎていくうちに段々みんなの気持ちが家族のようになってきて、彼らが今ここにいないのが不思議な気分です。

40年ぶりに太平洋を渡ってきた本物の船乗り

このバケーションの1ヵ月後の7月17日、本物の船乗りの63歳の堀江謙一さんが日本からゴールデンゲイトをくぐって40年ぶりに太平洋を単独航海してきました。地元紙では「Better with age」と題し、23歳だった堀江さんが40年前に太平洋を一人ぼっちの航海でSFに来た時と同様に、温かいもてなしの記事が掲載されていました。

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最初の航海当時、堀江さんは英語もしゃべれずビザも持たずにきて、政府移民局と入国で大いにもめました。それを当時のSF市長Gorge Christopherが、堀江さんの単独航海の勇気を称えて30日のビザを発給し、名誉市民として大いに歓迎したというストーリーも紹介されています。今回の航海は年齢とともにすばらしくなる堀江さんと題して、さらにその勇気を賞賛しています。

SFと堀江謙一さんの再会

彼の最初の「マーメイド2世号」は今でもSFの海軍博物館に保存されています。7年前にアメリカに移住してきた私は、最初に堀江さんのボートの小ささに驚き、またその小さなボートで5270マイルの太平洋を94日間ひとりで航海してきた堀江さんの勇気を、日本人として大いに誇りに思ったことを記憶しています。

彼も40年前のSFで受けた温かい歓迎ともてなしが、今でも心に残るといってSFとの関係を強調しています。今回も外洋からゴールデンゲイトをくぐるのが難しく潮流に押されるようにくぐりぬけましたが、40年前にやはり同じようにゴールデンゲイトの外で漂流していた堀江青年を発見して助けたBill Fisherが、彼を迎えるために船でゲイトに向かい、お互いに再会を喜んだようです。

未来を感じさせる堀江さんの新しいマーメイド3世号

今回のボートはサントリーの後援らしく名前は「モルツ・マーメイド3世号」。全てリサイクル素材で作られており、アルミやソーダ缶、ウィスキーの樽で使用されたオーク材などサントリーらしい素材を用い、通常ボートで使用されるディーゼルなどの化石燃料の代わりにRenewable(再生可能)な燃料電池を使用、またサテライトを使ったGPSなどのハイテクノロジー装備による航海でした。

こうした新しいコンセプトでの航海自体が、堀江さんの未来志向とチャレンジ精神を大いに表しており、私も今後の環境を考えたセーリングライフにおいて、燃料電池によるエンジンをぜひ使用してみたいと思っています。

63歳は引退には若すぎる年

堀江さんのコメントで、「今回が最後の航海ではない。63歳は引退するには若すぎる」という言葉がクローズアップされており、私を含めてベイエリアの人たちは、彼のその言葉と態度に非常に共感してインスパイアされました。

日米間で感じることは、こうした民間の人たちの交流の重要性です。日本の歴代の首相や外務大臣がベイエリアに来た時でも、こんな大きな新聞記事の扱いはありません。人の心を感動させる生き方そのものが、日米間の垣根をらくらくと超えるのだなと実感しています。堀江さんに勇気付けられた船乗りのはしくれとしては、その堀江さんをサポートするサントリーに敬意を表して、今日の気分は「堀江さんに乾杯」という感じです。

追記:その後の仲間のコトをここに記します。書籍の中の全ての名前はプライバシーを考慮して仮名で書きました。

1)南太平洋のセーリングの準備をしていたグレッグは、準備の最中に眼球に癌細胞があることが分かり、セーリングを断念して治療に専念したが、その後しばらく経ってから亡くなってしまった。私達夫婦は彼の52フィートのJeanneauに、彼の家族と一緒に乗り込み、よくSFでセーリングした。私の亡くなった母を初めてSFのベイでセーリングを連れ出した時、グレッグの52フィートのヨットでセーリングをしており、2012年我々は37フィートのフランス製のセールボートBeneteau を買ったが、母に「随分小さい船だね」と言われたことを思い出す。グレッグのコトを思い出すと涙が出る。

2) ドットコムサバイバーのジーンは、このSean of Cortezの航海の後、2005年私達夫婦が15日間かけて、SFからハワイのマウイ島まで太平洋を半分航海したボートを、ハワイからSFまでをクルーとして運ぶという帰りのセーリングをしている縁があった。さらに驚いたことは、昨年私達夫婦がSt Georgeに家を購入したが、このジーンとその夫のボブが同じコミュニティに3年前から住んでいるという奇遇も起きた。

3)堀江謙一さんのその後の冒険は継続しており、彼はヨットで世界を3周、太平洋を8回横断。1962年、23歳の堀江さんは94日間かけて世界初の太平洋無寄港単独横断。その後ソーラーパワー(太陽電池)のボートで、足漕ぎボートで、アルミ缶リサイクルのボートで、生ビールの樽を利用したヨットなどで、冒険の歴史を紡いでいる。2008年には、波の力だけを動力とするウェイブパワーボート(波浪推進船)「サントリー マーメイドⅡ」号でハワイ~紀伊水道の航海を成功させた。風力、人力、波力、太陽光という四つの自然の力それぞれを推進力としたヨットやボートで数々の冒険航海を制覇したのは、世界で堀江さんただ1人。

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コロナ禍でのアメリカ生活㉖「アメリカの富をLooting(略奪)しているのは誰か?」

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5/31に元大統領候補の民主党上院議員のBernie Sandersが、以下のTweetを発した。

"The richest 400 Americans sit on $3 trillion – the size of the entire UK economy," "The billionaire class now pays a lower tax rate than people living paycheck to paycheck. The looting of America has been going on for over 40 years – and the culprits are the ultra-rich."(400人の米国の最も富裕な人々は、英国経済に匹敵する3兆ドルの資産の上で暮らしてる。彼らビリオネラー達は、給料から給料の綱渡りで暮らす人々より、低い税率で納税している。過去40年以上アメリカを略奪している犯人は、彼らウルトラリッチの人達だ)

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もちろんGorge Floyd事件によって発生した、貧しい或いは衝動的に略奪を犯した人々の行為を念頭において、敢えてBernieらしい富裕層との対比を使ったキツイTweetである。社会正義を求めて平和的な抗議運動をしている人達にとって、こうした略奪や暴動(扇動者によってしばしば起きる)は、反対勢力に利用される汚点だが、Bernieは、じゃあ富裕層による富の略奪はどうなんだ?と問題を突き付けている。

パンデミックの中、たった2か月間で世界の25人のビリオネラー達は2,550億ドルも資産を増やした

「ウルトラリッチは、パンデミックであろうがなかろうが、いつでもよりリッチになる」、こんな公式が当てはまるのが、Forbesによる世界のトップ25人の富裕層のリストである。この25人の株式資産は合計1.5兆ドルで世界の富の約6%を占める。彼らはパンデミックで株価が急落した3/23から、2か月間で株式資産を2250億ドルも増やした。火事場泥棒とは言わないが、失業や休業、外出制限、感染拡大など、一般の人達がまさにコロナで最も打撃を受けている最中に、ウルトラリッチたちは焼け太りをするというアイロニーが見える。

この25人のリストの中で最も多く資産を増やしたのは、FacebookのCEOのMark Zuckerbergで、過去2か月間でFacebookの株価は60%以上上がり、5/22現在で彼の資産は865億ドルとなり、4月のForbes’ 2020 list of the World’s Billionairesで世界で7番目の金持ちだったMZは、今は4番目に跳ね上がった。36歳のMZは、Warren BuffettやOracleのLarry Ellisonよりも金持ちである。

2番目に資産を増やしたのは、AmazonのCEOのJeff Bezos(世界で一番の金持ち)で、3/23以来株価は29%増、彼の個人資産は26%増(300億ドル)で、5/22現在個人資産は1,469億ドルに膨れ上がった。

テクノロジー企業のみならず、小売りの巨人であるWalmartも、政府がコロナ禍の消費者をサポートするために提供した景気刺激のためのお金が家庭に届くと、株価は最高値となり、Q1のリベニューは、オンラインセールスは74%増、トータルでも10%増の1346億ドルとなった。 Jim, Alice and Robert Waltonという創業者一族の3人の株式資産は合計1,650億ドルになる。

コロナ禍がヒットした3/23以来過去2か月間、米国の失業手当申請者は3,900万人に上ったが、25人のウルトラリッチのうち、1人も株式資産を減らした人はいない。

Bernieや他の多く人達が指摘する「大企業のアメリカの富のLooting(略奪)」をもっと真剣に考えるべき

人々が自宅待機中、Facebook(+Instagram )で友人知人と多くの時間を費やし、AmazonやWalmartでオンラインショッピングをしてる間、大企業はますます大企業化(独占化)し、ウルトラリッチはもっとリッチになる。これは資本主義社会に生きる以上、常に起こりうることだが、やはりここで、誰もが制度疲労を起こしている米国社会の仕組みそのものを、再考すべき時が来ているように思う。

特にGAFAM(Google, Apple, Facebook, Amazon and Microsoft)に代表されるテクノロジー企業は、現在我々の生活に大きな影響を及ぼしており、彼らのサービスがないと生活が立ち行かない状況に陥る。彼らはまた、政治的にも大きな影響力を持っており、Googleは過去10年間で5億ドルをロビー活動に費やしており、彼らはあたかも議会で議席を確保しているかのように、政策に対して大きな影響力を持つ。

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彼らはその影響力を、法律の改正や構造改革のために使うかどうかは、大きな疑問であるが、富の格差是正は、彼らのビジネスの顧客の生活を安定させるために非常に重要な意味を持つ。富を循環させない限り、社会は動脈硬化を起こし、Sustainableな成長は望めない。

今はすでに21世紀に入って20年も経っている。いつまでも20世紀的な自分だけが勝てばいいという考えから抜け出す時だと思う。

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アメリカの現実②「米国生活25年の私にとっての差別」

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もう25年以上この国に住んでいるけど、私はあまり自分がアジア系人種であるという点で差別を感じたことがない。ただ1つだけ、記憶に引っかかっているコトがある。24年ぐらい前、夫と2人でイタリアンレストランに、電話でオーダーしていたピザを取りに出かけた。私がレストランの受付に名前を告げてピックアップしようとしたら、彼女が何故か一言も私と話さず、すーっと奥へ引っ込んだ。私は多分彼女が私達のピザを取りに行ったんだと思って、じーっと立ち尽くしていた。彼女は戻ってきたが、私の存在が見えないかのように、後から来た別のお客と話し始めた。私は何回か彼女に話しかけようとしたが、彼女は目をそらしたり、身体の向きを変えたりして、私を無視した。15分間ぐらいのこのやり取りを見ていた夫は、"Enough is enough"と言って、私の手を引っ張って店を出た。

「何故、私を助けてくれなかったの?」

普段は滅多に怒りを面に表さない夫が、かなり怒りに満ちた顔で、無言のまま、車に戻った。私は「あなたが間に入ってオーダーの件を聞いてくれたら、彼女は答えたかもしれない。なぜ遠くで見ているだけだったの?」と聞いた。夫は「最初、彼女は単に忙しくて、君に返事をしないのかと思ったが、そのうち彼女が明らかに君を無視していることに気づき、こういう差別的な態度を取る人間と口をきくのも不快なので、店を出た」言った。

実際、私はこの夫の言葉を聞くまで、自分があの女性に人種差別されていることに気がつかず、何で自分を無視するのかがよく分からなかった。だが、この夫の言葉にかなり驚き、さらに自分のナイーブさに呆れてしまったのを、思い出す。夫は「僕があのまま店に居たら、彼女に何で自分の妻を無視するのか? 話を聞かない理由は?などと 言い始めて、物凄く不愉快な思いをすると思い、店を出た。彼女のようなattitudeをする人間には、論理的な話し方をしても、何も得られず、時間の無駄だ」を言い放った。

「私の肌は何色?」

あの頃の私の人種に関する意識のなさとナイーブさは、今考えると笑い話のように思える。確か永住権或いは運転免許証の取得かなんかの書類だったと思うが、自分の身体的特徴を描写する項目があった。まず人種という項目で、私は「Asianという項目は目についたが、日本は島国だから Pacific Islanderにしたら、まずいかな?」と思い、「私の髪の色はblack、目の色はBlack、肌の色って言われても、日本では肌色という言い方しかない、ここはYellowって書くべき?」と夫に尋ねた。夫は笑いながら「気持ちは分かるが、君の人種はAsianで、髪の色はBlack、目の色はBrown、肌の色はLight brownと書くべきだと思う」と言われた。

生まれて初めて、自分の肌の色を描写するという経験をしたことと、さらに自分の肌の色を「Light brown」と書くことへの驚きは、強烈だった。日本の女性を描写する「黒目がちで肌は色白」といった表現は、この多人種の国では成り立たない。また自分はアジア系という人種のスタンプを押されて、「Light brown」の肌を持つ「People in color」であることを初めて自覚した。

「あなたは苦労知らずのプリンセス」

1995年日本勤務だった夫と日本で結婚したが、その年、夫が突然San Joseオフィスに戻ることとになり、私は16年勤務した電通Young & Rubicamを退社して、何のツテもなく、シリコンバレーにポーンと来てしまった。英語が苦手だった私に対して、日本退社時に周囲からは「大柴は米国に行っても、せいぜいセブンイレブンのキャッシャーぐらいしか職はない」という、思いやりの溢れる(笑)励ましをもらった。

その予言通り、まだインターネットが一般に普及していない当時は、新聞や雑誌の求人広告とキャリアクションセンターという求職者サポートの施設で、職探しするという時代であった。当初の職探しは困難と屈辱の数々で、この辺は別な機会に改めて書いてみたい。

最初にやっと手に入れた仕事は、夜勤もあったメールオーダー企業(当時日本の顧客は海外カタログを手に取って電話或いは郵便で製品をオーダーする)の日本人向けのCS。その後紆余曲折があったが、私の日本での広告業界における成功体験を知っている人間が、SFベイエリアにいる私を発見して、結果米国広告代理店のMcCann Erickson San FranciscoでAccount Supervisorとしての職を得た。

当時外部の日本人の翻訳者と契約しており、何の話題かは忘れたが、彼女と色んな話をしている最中、いきなり「あなたは苦労知らずのプリンセスだから、アメリカのリアリティなんか何も分かっていない」と言われた。

「プリンスチャーミングに守られているあなたには、米国の差別は分からない」

私はその言葉に驚いて、どういう意味か?と尋ねると、彼女は「私のようにシングルでフリーランスのアジア人女性は、まず自分が住むところを探すのが物凄く困難。やっと見つけた場所に、電話で家主にコンタクトすると、アクセントを聞いただけで、既に埋まったと断られ、電話ではなくF2Fで直接会いに行けば、見た瞬間に嫌な顔をされる。日本語関係以外の仕事に応募しても、殆どの場合は相手にされない。私の場合は、アジア系 X 女性 X フリーランス(会社勤務でない)X シングル =マイノリティの4乗、という方程式になる。あなたにはPrince charmingと呼べるアメリカ人の白人の夫がいて、彼の保護下で生活をしている以上、アメリカの差別の根深い部分を理解することはできない」と言われた。

私の場合は差別されても「可哀そうに、この人は自分と違うという人への恐れで差別するんだな」と思ってしまう。

私は彼女の鋭く切り込む言葉を聞きながら、彼女の長年蓄積された「不公平な扱いへの怒り」を感じて、敢えて反論はせずに、彼女の指摘で尤もな部分のみを挙げて、ある程度彼女の意見に同意を示した。理由は、私は彼女に依頼したプロジェクトの責任者で、職務上彼女は私の管理下にあり、私がパワーハラスメントとはいかないまでも、職務権限を元に反論したと思われることを避けるという点。さらに、幸運なコトに、私は差別されても「ああこの人は自分と違う人への恐れがあるんだな」と思ってしまい、ちょっと怒ってもすぐに忘れてしまうという、傾向があるからだった。

ただ今、この2020年6月5日まで生きてきて、深く実感することは、やはり自分は長年に渡って日常的に差別され続けてきたわけではなく、彼女が指摘した「アメリカの根深い差別」を、やはり体験していなんだという思いである。

"Black Lives Matter"としか、今は言えない

私が4日前に書いた"I can't breathe"というブログに、私のGeorge Floyd事件とその後の抗議運動に関する気持ちは書いた。

以前、Obama大統領は、自分は大統領であるが、例えそうであろうとなかろうと、自分が黒人である以上、言われなき取り扱いが起こる可能性があると発言した。

また、ミネアポリスの市長Jacob Freyは、"Being Black in America should not be a death sentence. For five minutes, we watched a white officer press his knee into a Black man’s neck. Five minutes. This officer failed in the most basic, human sense."(黒人として生きることが、アメリカでは死刑宣告に等しいという事態であってはならない。5分間、白人警官は黒人男性の首を膝で押さえ続けた。5分間。白人警官は人間として根本的な過ちを犯した)と発言した。

夫は「米国は、過去400年間も黒人を下に落としていた。まずは彼らを同じ高さに上げることが大切。だから、"Black lives matter"なんだ。その後ならば、"All lives matter"って言ってもいいけど、今はまだ言えない」とつぶやく。

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コロナ禍でのアメリカ生活㉔「危機の際の企業のメッセージは金太郎飴状態」

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一昨日のMembers主催のセミナーは、「Purpose-driven companies」をキーワードに、コロナ禍におけるマーケティングの話をしたが、参加者が150名ぐらいまで膨れ上がり、半分ぐらいは「ひさみファン」でしょうと担当者に言われた。何はともあれ、多くの方に視聴していただいたのは、非常に有難い。どうもありがとうございました。。普段日本語を喋る機会が殆どなく、尚且つお喋りな私が話し始めると、予想通り1時間では収まり切れず、セミナー後のフィードバックも質疑応答のためにもっと時間を増やして欲しいという声をいただいた。今後のオンライン或いはオフラインも、セミナーは1時間半か2時間ぐらいはとって、ゆったりと話せるようにしたい。

危機の際に、なぜ企業はGenericなマーケティングメッセージしか発しないのか?

セミナーの中で、広告代理店の方が「企業メッセージとして、マーケティングギミックではなく、Purpose(信念・目的)が重要なことは分かるが、自分達、広告代理店は何をすべきなのか?」という質問があった。答えの全てをここに書くことは避けるが、国を挙げての危機的な状況下(例えば9.11のテロ攻撃、戦争勃発、マス銃撃事件、自然災害など)に陥ると、企業メッセージは、一様に金太郎飴を切ったように、非常に無難で当たり障りのないGenericなメッセージになる。

以下は、それを皮肉ったヴィデオで、冒頭は悲しみを感じさせるピアノの音楽が流れ出して、センチメンタルな言葉をちりばめて制作されており、ロゴを変えたら、どの企業の広告かさっぱりわからないほど、Genericな(金太郎飴的な)のコーマシャルとなっている。

“uncertain times”
“we‘re here for you”
“people” and “families”
“comfort and safety of your home”
"we're all in this together!"

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When a company or brand releases a Coronavirus Response ad, they might tell you that we're living in "uncertain times", but that "we're here for you". They may say their top priority is "people" and "families" by bringing their services to the "comfort and safety of your home". And don't forget: "we're all in this together!"

誰もが思いつく、当たり障りのない、センチメンタルなメッセージではなく、企業のPurposeを行動で可視化させてほしい

徐々にビジネス再開が始まっているとはいえ、失業&休業、感染への恐れ、制限のある不自由な生活、さらに、George Floyd事件による全米に広がった抗議運動と暴動という、様々な不安の中で、人々は生活をしている。そんな状況下で、各社がオンエアするコマーシャルは、ロゴを変えたら見分けがつかないぐらいに全てが同じ。あたかもロイヤリティフリーの無償のヴィデオ素材で同じ広告代理店が作ったかのようである。現時点で、企業として、他に言いようがないにしても、あまりにも意味のないメッセージが自宅にいる私達の目に触れる。

消費者は、こんなセンチメンタルなメッセージに広告費を投下するならば、実際に今直ぐ最も困っている人達をサポートする行動を示して欲しい、言うだけでなく、企業のPurposeを行動で示して、可視化させてほしいと思う。

Kotlerは2013年に「5Ps(Product, Price, Place, Promotion and Purpose)」を提唱している

Philip Kotlerが、すでに2013年に5番目のP(Purpose)を加えて「5Ps(Product, Price, Place, Promotion and Purpose)」を提唱しているように、今マーケティングで重要視すべきはPurposeである。彼は “Purpose should be a form of core business(信念&目的はコアのビジネスを形作るものでなければならない)”として、Purposeと同様に、企業の資産として重要なものとして「corporate culture」を挙げている。

なぜ5番目のP(Purpose)が必要なのか? Kotlerは調査した結果、社員が働きがいのあると考える企業のマーケティングコストは、同業他社よりもはるかに低く、顧客満足度と顧客維持率ははるかに高いという結果を得ている。企業が顧客、社員、サプライヤーに関心を示していれば、誰もが幸せになり、したがって、ビジネスの全体的な収益力が向上する、と彼は言う。

エージェンシーはいやでも応でも戦略的なマーケティング領域に踏み込まなければならない

冒頭の広告代理店の方の質問への答えは、エージェンシーは、クライアントに対して、戦術的な領域からより戦略的なマーケティング領域に踏み込む必要があるというコト。Purposeに関しては、「すでに企業が持っているPurposeが、その企業のコアのビジネスを形成するものとなっているか? 企業はそれを単なる理念あるいはお題目のように取り扱っていないか? CEOから前線の社員までがそれを共感し実施したいと思っているか?」など、プロフェッショナルで尚且つ消費者目線を持つ、ニュートラルな立場でPurposeを研磨できる立場にある。

消費者心理を考えると、現在のように混沌とした社会状況下では、戦術的なマーケティング費用は無駄であり、一般論にしか思えない企業メッセージの露出は、意味がない。Sustainableになり得ないマーケティング活動は避けたほうがいい。

消費者は、Social issueに対する企業の行動を期待し、見つめている

米国では、George Floyd事件以降、全米に広がる抗議運動に対して、企業がどう考えているか、どう行動するかを、じっと見つめている。5/31-6/1の直近の調査結果は、人々は、企業が問題に足を踏み入れるのを怖がって沈黙を守るのではなく、問題解決への声明と行動を期待している。企業に期待する行動のトップ4は、以下である。

•  略奪により被害を受けたスモールビジネスのための基金設立:49ポイント
• コミュニティのクリーンアップのための寄付:42ポイント
• 抗議者と警官をサポートするステートメント:21ポイント
• 社会の正義や不平等問題への寄付:20ポイント

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行動のみが可視化可能なので、今、重要なことは「有言実行」することだと思う。

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アメリカの現実①「"I can't breathe"米国の解決されない負の遺産」

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George Floyd事件が突き付けた米国の現実

5/28(たった4日前の事件)、ミネアポリスで白人警官がすでに手錠を掛けられている黒人男性George Floydの首を、膝で9分間押さえつけて、死亡させた。彼は何度も "I can't breathe, Sir (彼は死ぬ苦しみの中で警官に丁寧にSirという敬語をつけて訴えている)"と言って助けを求めながら、亡くなった(殺された)。彼を殺した警察官は、事件直後解雇された上で、第3級殺人などの罪で訴追されているが、事件を側で見ていて何もしなかった3人の警官に関しては、刑事罰の訴追は発せられていない。その後、この映像を見たアメリカ人の抗議運動と暴動は、全米に広がり、コロナ禍が今も進行中のアメリカは、またしても歴史的な負の遺産である「人種差別」といった、越えられない苦しみで、のたうちまわっている。

誰もが”Enough is enough"だと思っている

各地の暴動は既に多く報道されているから、敢えてここでは触れないけど、大都市以外でも、アメリカに住む以上、誰もがこの事件に強い反応を示している。私が住むSt Georgeは、人口は9万人でユタ州の中では7番目、全米では363番目の大きさのシティで、人種別の人口では白人が88.48%(7万2,727人)を占める。黒人人口は0.82%(670人)と、アジア系の0.89%(728人)と同様に少なく、1%にも満たない。そんなカントリーサイドの街でも、5/30には200人ぐらいの人達が集まり、“All Lives Matter”, “No Justice, No Peace” and “He Couldn’t Breathe,”といったプラカードを掲げて、平和的な抗議行動を実施した。全米で抗議運動が暴動化している訳ではなく、どんな小さな街でも、人々はこの事件を見て、"Enough is enough"という気持ちとなり、これを変えるために何かをすべきだと思っている。

平和的な抗議運動を暴動化にすべく扇動するグループ

また誰もが、この事件を利用して、平和的な抗議運動を、略奪・焼き討ちといった暴動化にすべく、扇動している人間やグループが、存在することを知っている。ミネソタの州知事のTim Walzは、白人至上主義者や麻薬カルテルなどの州外から来た扇動者が暴力をあおっていると非難したが、Trump政権は直ぐにこの問題の大半が「無政府主義の極左勢力である。彼らはAntifa(アンティファ)的な戦術を使っており、多くは州外から来て暴力を促している」と決めつけた。アンティファは、反ファシストだと主張する扇動者のゆるい集まりを指し、彼らは黒い服を着て頭を隠し、他の人に前線を任せ、遠くから警察への暴力を指示することが多い。

暴動化を導く扇動者達の解明は、ぜひ冷静に事実を洗い出し、誰もが視覚化できるヴィデオやその他の証拠を駆使して、解明してほしい。理由は、こうした人種差別に耐えかねた黒人たちが暴動を起こすと、政権は、黒人たちを暴動と略奪を行い、市民生活を脅かす人間としてカリカチュアして、"Law & Order"の強化を図るからである。既に大統領は、この事件を自分の政治的キャンペーンに利用して、暴動を煽る以下のようなTweetsを発している。

"A total lack of leadership. Either the very weak Radical Left Mayor, Jacob Frey, get his act together and bring the City under control, or I will send in the National Guard & get the job done right....."「リーダーシップの完全な欠落。非常に弱い極左のミネアポリスの市長Jacob Freyはすぐに行動して、シティの治安を取り戻せ。そうでないならば、自分が州軍を送って解決する。」

コロナ禍による感染と雇用悪化は、黒人層を直撃している

アメリカは、コロナの感染拡大による雇用の悪化で、4月の失業率は14.7%となり、5月は20%に達する可能性もある。4月の失業率も黒人は16.7%と白人より2.5ポイント高い。コロナ感染においても、黒人の死者数は白人の2.4倍にのぼるコロナ禍が黒人層を直撃している最中に、この事件が起きた。事件の抗議運動の暴動化の一端には、こうした貧困に喘ぐ黒人層の蓄積されたフラストレーションと怒りという心理的な要因も、引き金になっている。更に悲劇的ともいえるのは、暴動によって黒人経営を含むMom & popの小さな店舗も破壊され、ビジネス再開が断たれ、密集した抗議運動によって黒人層に、よりコロナ感染を拡大させる可能性もある。

アメリカで黒人として生きることの意味

CNNの黒人レポーターは、報道許可を取り、警察から指示された場所で生放送を行っていたにも関わらず、生放送の真っ最中に、彼とスタッフ達は警察に拘束されるというコトが起きた。以前Obama大統領は、自分は大統領であるが、例えそうであろうとなかろうと、自分が黒人である以上、言われなき取り扱いが起こる可能性があると発言していた。

ミネアポリスの市長Jacob Freyの以下の発言は、これを裏付けるものである。「黒人として生きることが、アメリカでは死刑宣告に等しいという事態であってはならない、白人警官は人間として根本的な過ちを犯した」

"Being Black in America should not be a death sentence. For five minutes, we watched a white officer press his knee into a Black man’s neck. Five minutes. This officer failed in the most basic, human sense."

人種差別による貧困は、社会を分断し、負の連鎖を継続させる

誰もが「何時になったらアメリカに人種差別がなくなるんだろう?」と考えていると思う。歴史的に見れば、1640年代から1865年のアメリカ合衆国憲法修正第13条が発する前まで、現在のアメリカ合衆国領域内ではアフリカ人とその子孫が合法的に奴隷化されていた。1860年のアメリカの国勢調査では、奴隷人口は400万人に達していたという。この制度がもたらした人種差別の傷跡は、155年経った今でも、アメリカを引き裂いている。

Trump政権を支持する35%が、全て人種差別主義者であるというつもりはさらさらない。ただ問題は、大統領その人の発言や行動が、酷い「人種差別」的な考えの元で、人々の分断化を促進させているのは事実である。これはまさに負の連鎖の継続を促すものである。

アメリカの貧困問題と人種差別は双子状態でついて回っている。今回のパンデミックによって、人の生き方や暮らし方が変わる可能性があるならば、このGeorge Floyd事件によって、負の遺産の「人種差別」に目を背けず、真剣に向き合い、人々のマインドセットを変えることも可能だと思う。AppleのCEOのTim Cookは、この事件に触れて、以下のように、社員に呼び掛けている

"With every breath we take, we must commit to being that change, and to creating a better, more just world for everyone."

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コロナ禍でのアメリカ生活㉒「ロックダウンはまた起こりえる。UBIのように社会の基盤を支えている人達をサポートする仕組みを考えるべきでは?」

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米国では4月に2,250万人が職を失った

米国の4月の失業率は第2次世界大戦後では史上最悪の14.7%となり、2,250万人が職を失った。州ごとに格差があり、失業率トップ3は、ネヴァダ州の28.2%、ミシガン州の22.7%、ハワイ州の22.3%。最も失業率が低い州はコネチカット州の7.9%で、それに続くのがミネソタ州の8.1%とネブラスカ州の8.3%である。驚くべきことは、ネヴァダの3月の失業率は7.9%で当時最も高い失業率であったという点で、ロックダウンによって、それが一気に20.3ポイントも増加するという異常さである。 以下の表は、3月と4月の各州ごとの失業率の推移であるが、一目瞭然で一気に失業率が急増した。

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雇用を重視する日本と違って、米国では企業の四半期ごとの収益如何で、真っ先に行われる経費削減は「人員解雇」である。皮肉なコトに、こうした解雇の対象となるのは、莫大な金額のサラリーをもらっている役員クラスではなく、低賃金の最前線で勤務する社員の場合が多い。現場の社員を1,000人解雇するより、役員を1人解雇したほうがよほど効率よく経費削減が可能なのに、犠牲になるのは常に簡単に削られる一般社員達である。更に皮肉なコトは、例え経営に失敗したトップ(CEOや他のCクラス)でも退職時には高額な「Golden parachute(退職する際に払われる割増退職金、ストックオプションなどで払われる場合が多い)」が用意されているので、彼ら自身は逆に焼け太り(ビジネスは傾くが、退職者は大金を手にする)をする場合もある。

在宅勤務可能な職種はまだまだ少なく70%以上はロックダウンの度に同様の境遇に陥る

米国では、制限付きでも在宅勤務可能な職業は、まだまだ非常に少ない。2016年の調査では米国の職場の僅か3.6%が「半分あるいはそれ以上の在宅勤務」を実施している。机上の上では、56%はリモートワークが可能であると推定されているが、現実にはそう簡単に許されていない。但し、今回のパンデミックでロックダウンとなり、米国では2021年末までに25-30%は、「1週間のうちに何回かは在宅勤務が可能」となると予測されている

仮にこの予測が実現したとしても、それでも70%以上は、在宅勤務可能なラグジュアリな仕事に就ける訳ではないので、次回またこうしたパンデミックが起きた場合は、今回同様に職を瞬時に失う。こういう状況を考えると、まず社会を下支えしている、この莫大な人達をサポートする仕組みが必要だと思う。

「UBI(Universal Basic Income)」を真剣に考える必要がある

私は、民主党大統領選挙候補だったAndrew Yangのキャンペーンの中心メッセージ「UBI(Universal Basic Income)」の考え方に関心がある。この考えは、、利益や収益性の追求一辺倒の20世紀型資本主義がもたらした富の格差の是正、貧困や差別の解消、さらに将来AIや自動化によって消失する人間の職などへの影響を和らげる効果がある。また今回のロックダウンのような経済停止の際に職を失う或いは倒産をする人達へのサポートともなる。以下に記した内容は、UBIに関しては素人の私が、NRIの上級研究員の柏木 亮二氏のAnnie Lowreyの『みんなにお金を配ったら(GIVE PEOPLE MONEY)』の書評コラム、Brianna ProvenzanoによるViceの記事(日本語訳)、World Economic Forumの記事などを参考にして、まとめたものである。

UBIとは、生活保護や各種の助成金や補助金、年金や医療保険などの現在の社会福祉制度を大幅に簡素化し(もしくはすべて廃止し)、その代わりに住民全員(世帯ごとではなく家族全員)に無条件に毎月一定の現金を支給する制度である。この考えは16世紀に英国の思想家Thomas More(トマス・モア)が、社会政治を風刺した1516年の著作『Utopia(ユートピアはモアの造語で、どこでもない即ちどこにもない場所)』で最低生活保障について触れているように、決して新しい考え方ではなく、現在世界中で様々な実験が試みられている。

Andrewは、全ての国民に月間$1,000の“Freedom Dividend”を提供すべきだと主張した。これだけではとても生活は賄えないが、少なくとも低所得者層の生活を支える糧にはなる。パンデミックによって最も大きな被害を受けるのは、これらの人達である。貧困はメンタルを破壊し、ドラッグや銃撃事件やDVや様々な犯罪を創出する。

UBIは既に始まっている?

今回のパンデミックによる倒産や失業を最小限に留めるために、イギリスは3月から全休業者の給与の80%を国が支給する措置を(上限は月2,500ポンド)始めて最低3ヶ月は継続するとしている。シアトル市は市内の大企業の法人税を引き上げ、その財源を元に市内の10万世帯に毎月$500を無条件で支給する法案を審議している(当面は4ヶ月間の予定)。スペインでも4月5日「可能な限り迅速にUBI(最低所得保障制度)」制度を導入すると発表している。これら一連の動きは、UBIの発想に近く、UBIが必ずしも実現不可能な政策ではなくなってきたことの証明でもある。

また以下のが示すように欧州では2017年すでに68%の人達がUBIの導入を求めている。

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UBIの効用

1) 貧困の消滅:世界中の貧困層(1日あたり$2以下で暮らす人達)撲滅のために様々なプログラムが提供されているが、最も効果的な方法は、モノではなく、直接現金を支給することである。もし彼らに毎月$500の現金を支給できたら、世界の貧困問題は直ちに消滅するという。現金は食糧や日用品、更に学費や貯金にも変えられる。現金こそが貧困からの脱出のために最も効果的な支援となる。

2) 広がる富の格差における、社会を下支えする人達へのサステイナブルなサポート:これは言わずもがなで、米国の富の格差は史上例を見ないほど大きい。米国の現実は、もし緊急事態が起きて医療費$400がかかってしまった場合、支払えないと答えたアメリカ人が40%に及ぶという事実がそれを証明している。仮に1人当たり$1000の支給が実現すれば、例え緊急の医療費が必要、あるいは失業といった危機に直面しても、金銭的に多少の余裕が生まれる。UBIは人々の労働意欲を失わせるという議論はあるが、労働市場経済学の研究で、UBIは人間の働く意欲にほぼ、或いはまったく影響を及ぼさないと報告している。なぜならば、人間の社会的価値の多くが仕事に根ざしており、人間は労働をしたがるからである。

3) 女性の家事労働といった無償労働の可視化など、男女格差が緩まり、女性の経済的な自立への道ができる:「無償労働」の経済的価値は少なく見積もっても全世界で10兆ドルと言われており、UBIはそうした目に見えない労働を可視化させる。さらに女性が毎月定額の現金を入手することで、男尊女卑が強い社会における女性(配偶者、娘など)は、経済的・社会的な自由を持つことが可能となる。

4) 都市の人口集中緩和や地方都市の評価増などで家族が暮らしやすくなる(人口増加):現在は雇用創出が大都市中心で行われているが、在宅勤務の浸透及び人口が集中する都市への不安は、今回のパンデミックで、多くの人達が再認識した。UBIが導入されると、こうした傾向を促進するように、住宅価格や生活費が安い地方の評価が高まる。また1人当たりの支給となるので、家族が4人の場合は4倍の支給が得られることとなり、教育費の高騰なので子供を持つことへの不安があった家族もよりゆとりが生まれて、人口が増える可能性も出てくる。

5) AIや自動化による雇用喪失と低賃金労働の増加:かつでは、ロボットは人間のために単純で退屈な労働を代替えしてくれると思われていたが、現実は逆な方向性を示している。高度な技能を習得したAIや自動化によって、今後20年の間に多くの人達の職が奪われてしまうという予測は、リアリティを増している。UBIの導入は、そうした人達にある程度の金銭的な安心感を与えて、低賃金の単純な仕事のみを強いられずに、職業選択の自由がもてる。さらに、家族や愛する人達との時間を割いてやっていた副業、兼業をしなくて済むようになる。

財源はどうするのか?

現在の複雑な社会福祉政策を撤廃し、その予算をUBIに充当すれば十分に財源は確保できるという試算がある。さらにこれに付随して、現在の富裕層(世界の富裕層の10%が世界の富の85%を所有)により累進的な所得税を課す、キャピタルゲイン課税を強化するといった税制改正によって、必要な財源は確保できるという意見もある。さらに世界を支配するような多国籍企業(FAAAM=Facebook、Apple、Amazon、Alphabet、Microsoftなど)も、莫大な利益を上げながらも、税制の抜け穴をうまく利用して納税額を抑えている。世界のトップ企業1,000社が公平に納税していれば、UBIの額としてはささやかでも、世界全体に分配することは可能ともいえる。

20世紀に確立された社会の仕組みの制度疲労は酷い

米国でもロックダウンは解除されて、ビジネス再開が徐々に始まっているが、過去2-3か月間の経済的打撃を回復させるような動きは、どんな業界にもない。米国では、5/26現在感染者数170万人以上、死者10万人以上と、とても収束には程遠い状況である。ましてブラジルの例を挙げるまでもなく、南米を中心して衛生状態の悪い南半球の国々では、今まさに感染者及び死者数が拡大している。北半球が夏場を何とか乗り切ったとしても、秋口の第2波が襲い掛かってくる可能性もある。その際に、またしても大きな影響を被るのは、ギリギリで生活している人達である。こういう状況を鑑みると、20世紀に出来上がった社会の仕組みを大幅に変革する必要があると思う。

私は経済に関しては素人だが、このUnfairな社会を少しでも、Betterにするために、もしかしたらUBIは有効ではないかと思い、自分の備忘録として、このブログでまとめてみた。

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コロナ禍でのアメリカ生活㉑「在宅勤務の浸透で最も重要なコトは、企業と社員の信頼関係の構築」

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オフィスのデスクの前でPCのモニターを見つめてタイプを叩いている姿のみが、「社員の働いている姿」としか思えない、管理職がまだまだいる。そうした管理職の中には、「在宅勤務の部下の勤務状態に信頼が置けないから、オンライン経由で可能な監視ツールを使おうをしている」人達もいる。在宅勤務に関するこうした管理職の不安は、「天唾(天に向かって唾を吐くようなもの)」だと思う。彼らは、自分の部下が、どのような人格でどのように働くかを把握できていないから、可視化できないと不安になる。仕事は、相手(上司、部下、同僚、顧客)との信頼関係なしには成り立たない。

無期限の在宅勤務を発表する米国のテック企業

米国では今朝Facebookが、無期限で在宅勤務を許可する計画を発表したMark Zuckerbergは、10年後の2030年までに全社員の半数は在宅勤務にする方向であるという。新たに雇用するシニアエンジニアは在宅勤務で、既存の社員はパフォーマンスがポジティブ評価ならば、無期限の在宅勤務の許可を得られる。すでにTwitter及びSquareも、2社のCEOのJack Dorseyが、「無期限の在宅勤務を認め、社員全員にホームオフィス用のサプライ購入のために$1000を支給する」と発言している。FacebookもGoogleも、既にパンデミック対応で社員の在宅勤務を今年末まで実施するようにしており、他のシリコンバレーのテック企業も同様で、「在宅勤務」の浸透はパンデミックでさらに加速化し、今後のホワイトカラーの働き方を大きく変える方向を示唆している。

在宅勤務は2021年末までに25-30%まで増えると予想

パンデミックは、我々が今まで日常当たり前だと思ってきた様々な固定概念に異なる角度から光を当てて、新たな事実を視覚化・再認識させた。米国では一見在宅勤務が浸透しているように見えるが、実際には2016年の調査で僅か3.6%が「半分あるいはそれ以上の在宅勤務」を実施しており、企業が実施を許可すれば、56%はリモートワークが可能であると推定されている。また別の調査では、37%がリモートワーク可能で、シリコンバレーの場合は51%は在宅勤務可能という。パンデミックによって在宅勤務の重要性と必要性が認識された今、テック企業云々に限らず、2021年末までに「1週間のうちに何回かは在宅勤務が可能」となるのは25-30%と予想されている。多くの企業は、今どれだけ、在宅勤務が企業にベネフィットをもたらすかを、再認識し始めている。

在宅勤務の必要性とベネフィット

1) Risk Management:今回のパンデミックが、収束に向かったとしても、否が応でも、パンデミック、或いは壊滅的な影響を与える自然災害は、今後もまた起こりえる。その場合、当然のように大規模なロックダウンや自宅待機が起こる。そうした危機に備えて、企業はProactiveにどういう体制で臨むべきなのかを考えれば、必然的に在宅勤務システムを何らかの形で、企業組織に取り入れる必要が生じる。

2)莫大な経費削減効果:物理的に人がオフィスで勤務している場合でも、実際には50-60%はデスクを離れており、実は無駄な勤務状態(=経費)が発生している。コロナ禍の間、米国企業の在宅勤務のイニシアティブは、1日当たり300億ドルの経費削減が可能と試算されている。さらに、在宅勤務によるビジネストラベルの削減は、半分をリモートワークにすると、社員1人当たりに$11,000の経費、社員も年間$2,500から$4,000の個人的な経費が削減できるという 。 実際に在宅勤務が浸透すれば、オフィススペースは縮小され、オフィス維持にかかる経費も大幅に削減され、従来企業経営で必須経費と考えられていた費用は大きく減少する。

3)社員がより幸せになると生産性は上がる:米国の場合は、職種に限らず、最低限度の在宅勤務を80%が望んでいる。日本では満員電車の通勤、米国では渋滞の中での通勤が、どれだけ社員のストレスになっているかを、今回多くの人達が同時に再認識した。勿論在宅勤務となり、オンラインミーティングが入りすぎて、忙し過ぎるという声もあるが、米国では時間の自己管理がより可能となり、上司や同僚とのコミュニケーションで邪魔される時間がなくなり、より効率的になったという声を耳にする。また、多くは家族や友人との時間や趣味に使える時間が増えて、嬉しいという。在宅勤務に慣れている人は、特にこの傾向が強く、コミュニケーションツールの進歩と普及は、在宅勤務初心者でも慣れれば、より快適になると推測できる。

なぜ我々はオフィスに行くのか?

どの職業或いは企業を選ぶのか?ということは、今までは「オフィスに毎日通う」というコトを前提に、人々は選択していた。そのため、人々は無理して住宅や物価が異常に高いにシティに住むか、或いは異常に長い通勤時間を受け入れていた。在宅勤務は、その固定概念を覆し、自分が住みたい場所に住みながら勤務可能という、新たな方向性をもたらした。特に人の密集するエリアの危険性と不便さは、多くの人達が今回のパンデミックで再認識した。夫婦が2人とも在宅勤務、子供達全員が自宅学習といった特殊な状況は誰も予想しておらず、自宅における自らのワークスペース確保の準備はなされていなかった。そうした問題も、今後は在宅勤務浸透によって、より密集度の少ないエリアで(=低い生活費で広い居住スペース)、ホームオフィスが確保できる環境を選べるというコトで、解決できる。すでにパンデミック前の2018年の調査で、SFベイエリアの住民流出は始まっており、46%は住宅価格と生活費の高いことを理由に、この地域を離れる予定だと回答している。また2019年のテック系社員対象の調査でも、Gen Z & Millennials(18-34歳)の41%が、2020年中にシティを離れる予定と回答している

在宅勤務のポイントはお互いが信じあうコト

在宅勤務の浸透は、雇用や人事評価などにも大きな影響と変革をもたらす。冒頭で述べたように、部下の勤務状況をオフィスで可視化できないと、勤務評価をできないような管理職や評価システムは、今後企業内でワークしなくなる。雇用時のJob descriptionの明確化と組織に頼らず自主的な勤務活動が可能な人物の選択といった形で、企業内の無駄な人材を削減する可能性が高まる。但し、こうした成果主義的なワークスタイルで最も重要なことは、例え可視化できなくても、相手を信じる信頼関係が構築されているかどうかという点である。管理職側の不安も分かるが、それ以上に、社員も管理側の評価が公平に行われているかといったコトに疑問を持つ。両者が不信感や疑問を抱かないように、企業として高度なポリシーとカルチャーを持つことが、New Normalとして浮上してくる在宅勤務を成功させる重要なカギとなる。

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コロナ禍でのアメリカ生活⑳「コロナはロールシャッハ・テスト的な役割を果たしている」

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良く言われる、"Is the glass half empty or half full?(コップの水は半分しかない、或いは半分も入っている)"というフレーズは、個人が状況を楽観的或いは悲観的に見るかを示唆するレトリックとして使われる。最近色んな人達の言動を見ていると、コロナ禍は個人の無意識下の性格を投影する性格検査「ロールシャッハ・テスト」的な役割を果たしているように思える。

ロールシャッハ・テスト(Rorschach test)とは?

以下は、Wikiによる説明である。

ロールシャッハ・テスト(Rorschach test)は、被験者にインクのしみを見せて何を想像するかを語らせて、それを分析することによって被験者の思考過程やその障害を推定するものである。スイスの精神科医Hermann Rorschachによって1921年に考案された。紙にインクを落として2つ折りにして広げるとできる、ほぼ左右対称の図版のカードが用いられる。これは原理的には簡単に作成できるが、現在でもロールシャッハによって作成されたものが用いられている。カードは10枚1組で、無彩色のカードと有彩色のカードがそれぞれ5枚ずつ含まれる。各カードは約17cm x 24cmの大きさ。

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これがRorschachによって作成された図案 

ロールシャッハ・テストは、被験者にとって、どのように反応するとどのように分析されるかが分かりにくいため、回答を意識的に操作する反応歪曲が起きにくく、無意識な心理の分析が可能であるとされ、1920年代に開発されて以来、長年にわたって広く用いられている。一方、テストの科学的妥当性への疑問や回答結果の分析に高度な技術を要し効率が悪いといった批判も存在する

この画像を見て「蝙蝠」を連想してしまった私

私は心理学者ではないので、ここでロールシャッハ・テストに深入りするつもりはないが、Wikiでこの図案を見て、思わず「あっ、蝙蝠みたい」と思ってしまった。勿論、コロナウィルスの感染源として最初に報道された武漢の市場の蝙蝠のことと、我が家は今の時期から蝙蝠が夕方以降飛来することといった2つの記憶が、多分アタマに強く印象付けられて、思わず図案を「蝙蝠」と思ってしまったのだと思う。私がここで書き留めて置きたいコトは、図案による無意識下の性格テストではなく、「コロナ禍」に対して、人がどう反応し、どう考え、どう行動するかという点である。私は周囲のアメリカ人の親戚・知人・友人達や、ソーシャルネットワークやメディア上の日本の知人友人達の言動を見て、なるほど、人はこういう風に考えるんだと、改めて実感している。

楽観的・悲観的といった二元論は当てはまらず、誰もが不安だけど、その不安への反応が人によって異なる

コロナ禍に関して、冒頭の"Is the glass half empty or half full?"のように、どちらの見方をするかで楽観的と悲観的に分ける、といった単純なことはできない。何せ、ここまで、短期間でパンデミックとして世界中に拡大し、尚且つ人の移動禁止やロックダウンといったような、未曽有の経験を世界中の人達は今同時に共有しているからである。正体不明というほど厄介なモノはなく、誰もが「この先どうなるのか?」という不安を抱える。但し、その不安への反応と対処の仕方は個人によって異なり、ロールシャッハテストではないが、その人の今まで見えなかった無意識下の性格まで見えてしまうような気がする。

短期間か長期化するのか?という異なる見方で変わるマインドセットと行動

何時これが収束するのかは、今の時点では誰もわからず、全ての人は速やかな収束を願っている。但し、ここでコロナ禍による規制は、1-2か月で終わると見るか、下手すると1年以上かかると見るかで、マインドセットやAttitude(姿勢や態度)は大きく変わる。

短期間収束派は、事実を目にしているがそれをそのまま咀嚼するには、あまりにも現実が重く、多分に希望的観測にシフトし、コロナ禍の影響を低く見積もっている人達。彼らは、当然制限がかかっている現在の生活への不満やストレスがあり(外出・外食・飲むに行くと言ったことが気軽に出来ない、家でオンライン経由の仕事や対人関係に飽きたなど)、今の生活は今後の「New normal」となりうる可能性を秘めていることを、受け入れる準備が出来ていない。

長期収束派は、過去3か月間の社会及び経済的な推移を目にし、さらに未だに多くの解決できないコロナ禍の状況を鑑みて、その長期化を予測し、それを受け入れようとしている人達である。彼らは、今の制限を緩和すると、より状況が悪化する可能性があると考え、現時点で「New normal」に備えて、今自分が出来ることの手を打とうとしている。長期収束派にも、勿論テレワークが出来ない人も多くいるので、そういう人達やエッセンシャルワーカーは、危険の中で毎日働いている。それでも長期化を予想している以上、極力自分は感染をしない、或いは感染源のキャリアにならないように工夫して生活している。Physical distancing(物理的な距離)とは、個人間の問題ではなく、公衆衛生上の最も重要な行動で、社会問題といえる。

「Overpromising and Under-Delivering(約束をし過ぎてそれが達成できないメッセージ)」

消費者が広告を嫌う心理には、3つの大きな要因がある。1つ目は、消費者が行うとしている行動を邪魔する場合(オフ・オンラインでコンテンツにリーチしようとするのを邪魔する広告)。2つ目は、広告メッセージが「Misleading(故意に消費者が誤解するように訴求する)」。3つ目は、「Overpromising and Under-Delivering(約束をし過ぎてそれが達成できないメッセージ)」である。人間は、誰でも邪魔されたり、誤解を招くような物言いには、腹を立てる。但し、消費者が企業に最も失望するのは、実は善意から招く場合もある「Overpromising and Under-Delivering」という3番目の場合である。理由は簡単で、人は約束を破られると「裏切られた」と感じて、相手を恨みたくなるからである。ここでのポイントは「デリバリできないほどの期待値を人に抱かしてはいけない」という点である。

これは、コロナ禍の環境でも活かせる部分で、長期化という重い選択(=低い期待値)をしておけば、収束が早まった時、まず真っ先に思うことは「良かった!早く終わった」という喜びである。また「New normal」は、かつての生活のように、未来は薔薇色で何でも上手くいくというコトはあり得ない(=低い期待値)と思えば、本当に「New normal」が始まった時に適応がしやすくなる。

人は「変化」するのではなく、置かれた環境に適応すべく、日々「進化」していく

私は昔からOptimistic(楽観的)でありながら、Realistic(現実的)な考えで生きてきたが、ここに来て、"Cautiously realistic(意識して現実的に)"に、シフトしている自分に気が付いた。楽観的な部分が消えたわけではないが、思いもよらない状況がドラスティックに頻繁に起きるので、かなり自分の知覚を意識して、現実をしっかり認識すべきであるという考えが、より鮮明になりつつある。

ロールシャッハの図案が蝙蝠に見えるのは、2020年5月高地の山に囲まれるSt George, Utahに住む今の私であるからで、2019年5月海沿いのビーチの街Santa Barbara, Californiaに住んでいた頃の私は、そうは思わなかったと思う。人は変化するのではなく、置かれた環境に適応すべく、日々進化していく。Herbert Spencerは1864年に『Principles of Biology』で「適者生存(survival of the fittest)」の概念を発案し、その影響はCharles Robert Darwinの『種の起源』の進化論へと繋がった。

環境に適応して進化出来ない人間は、おのずと脱落してしまう。パンデミックは1回で終わるものではなく、これから何回も襲ってくる。それを想定して、現実的に日々変わる環境を受け入れ、それに適応して進化すべく、心構えを持ちたい。

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コロナ禍でのアメリカ生活⑲「5月になったからって、どこが4月と違うの?アブナイ、アメリカの規制緩和」

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昨日は夫と2人で1週間分の食料の買い出しに出かけた。2人が大いに驚いたことは、規制緩和が出た途端、多くの人がマスクを掛けずに店の中を歩きまわり(店にはマスク着用お願いの張り紙で出ている)、また住人以外のバケーションで来ているような人達を見かけたこと。夫はキャッシャーで待っている時、後ろの男性がマスクを掛けずに大きなくしゃみをしながら、手で顔をこすり、小さな娘に大声で話しながらふざけているコトに、憤っていた。

5月と4月の感染状況は何も変わっていない、むしろ悪化している地域が多い

以下は、5/11現在でNY Timesのまとめによる現在Reopen及びシャットダウンしている州の表である。黄色の西海岸と東海岸の北部、5大湖周辺のMidwestの州のみが、シャットダウンあるいは制限を加えている州で、ブルーの州はすでに部分的にReopenしており、うすい水色の州もじきにReopenする州である。

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実に危ないと思う。5/11時点で米国全体の感染者数は137万6,849人、昨日新たな感染者9,210人、新たな死者が395人が加わり、死者合計は8万1,182人である。以下のグラフは、合計死者数の推移と1日当たりの死者数の推移である。どちらも、4月に入って急上昇しており、5月に入っても特にその傾向に変化はない。

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根拠なき州ごとのReopen

科学的な事実を元に、各州知事がReopenを決めたわけではなく、多くの州はこれ以上経済的な打撃を受けることを避けたいがために、シャットダウンを解除して、制限付きReopenに入っている。実際これによって、感染者数と死者数はまた急上昇する可能性を秘めている。いや、秘めているといった言葉ではなく、必ず起こりえる現象だと断言できる。

なぜならば、悲しい事ながら、多く人達は論理的に制限解除を受け止めず、感情的に自分が自由に行動したいという欲求の元で、これを歓迎している。また大統領や州知事が5月からReopenと言っているんだから、我々はそれに従うという、無責任な政府への責任依存が、これを支えていると思う。

テストやトラッキングをしていないから数が少ないだけで、感染が広がっているかどうかは誰もわからない

我々が住んでいるUtah州は共和党の政治家に支配されており、多くの州がシャットダウンをした時も州知事はそれを実施しなかった(勿論、郡ごとに制限が異なり、州知事以上に制限をして感染拡大を防止した郡もある)。それでも、現在発表されている感染者数は、6,251人で死者数は67人と非常に少ない。これはテストもトラッキングもまともにしていない以上、あまり信頼できる数字とは言えない。

また海岸沿いの州と異なり、Salt Lake Cityを除けば、多くのUtahの街は、都市と言えるほど人口が密集していないので、生活そのものが自然に「Physical distancing(物理的距離)」を守れるので、感染数は少ないのかもしれない。但し、昨日のスーパーマーケットを見る限り、バーケーションで訪れる人達(移動によるウィルスのデリバリ)もいれば、マスクを外して動き回る人達も見かけた以上、今後の感染拡大はかなりの規模になることは予想出来る。

病院のベッドはコロナに限らず、あらゆる病気の人達のためにリザーブすべき

マーケットから帰宅し、憤慨していた夫から、何年振りかに非常に悪い言葉(彼は私の前では滅多に使わない)が発せられた。夫は「なんて無責任なんだ。自分達の事のみを考えて愚かな行動をしている。重要なことは、これ以上、己の愚かしい行動で、病人のためのICUやベッドを使うといったことを起こさないようにするコト。物理的に働く必要のある人は、勿論そうすべきだし、それ以外のオルタナティブがある人は自宅から働けばいい。それとは別な問題で、消費行動や社会行動における各々の自分勝手で無責任な行いが、どれだけ病人やエッセンシャルワーカーの負担になると考えるアタマはないのか?」と怒鳴っていた。私もTotally agree with himである。

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寅さんではないが、ビジネス上で「それを言っちゃあ、お終いだよ」と思われる11の英語表現

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今日は、ビジネス上、英語に限らずどの言語でも(日本語も含む)、寅さんではないが「それを言っちゃあ、お終いだよ」と、相手から思われる表現を紹介する。これはEntrepreneurで紹介された記事で、私風に言い換えている。

1. 'It’s not fair.'

誰もが世の中は公平でないことは知っている。これを言った途端に、他の人は「この人はナイーブで、大人になり切れていない」と思ってしまう。日本の人はあまり「Fair」って言葉は使わないけど、英語では意外と目にする。意味的には、「依怙贔屓や偏見がなく公平な」、「個人の感情や利害に影響されず適正な基準に従っている」という感じなので、これを社内で使うと、多くの人達の眉が上がってしまう。

2. 'This is the way it’s always been done.'

コロナ禍で生きる今、言うまでもなく日々、1週間、1か月で物事や環境は急激に変化している。「これが、今ままでいつもやって来たやり方」といった瞬間に、「この人は変化に適応できない、或いは新しいことにトライしない旧習派の人間だ」と思われる。コロナ以前も然り、テクノロジーの進歩の速度は、とんでもなく速く進む、これに乗り遅れたらビジネスでは生き残れない。既得権益に固執している人間は、ビジネスでは脱落する。

3. 'No problem.'

この言葉を簡単に使う人が多いが、誰かがこれをお願いしますと頼んだ際にこう返されると、「えっ、私が頼んだことって問題なの? 何か押し付けたっていう訳?」というニュアンスが感じられる。この場合は、頼まれたことを喜んでやりましょう、或いは喜んでやりました、という表現がベターなので、 “It was my pleasure” とか“I’ll be happy to take care of that.”が、ポジティブな言葉がいい。大切なのは、ネガティブ表現ではなくポジティブな表現で会話を進めること。私は頻繁に“It was my pleasure” を使うが、何か自分がしたことに対して、相手が感謝している場合は、自分も嬉しいので、自然とこの表現がすぐ口に出る。

4. This may be a silly idea .../I’m going to ask a stupid question.'

こういう極端に自分を卑下した、或いは日本語風にいうと「へりくだった」、英語で言う「overly passive phrases」は、兎に角、ビジネスでは使わない方がいい。相手は「そんなに不安で自信がないんだったら、何も言わなくてもいいよ」と思ってしまう。例え、このフレーズの後に、素晴らしいアイディアや質問が続いたとして、既に相手の気が削がれているので、みんなまともに聞かなくなる。米国では、日本的な謙譲の美徳は、ほとんど通用しないので(あることはあるけど、それは相手がインテレクチュアリに優れている人に限る)、例え、多少自信がなくても、堂々と自分の意見や質問を言う方が、好感が持たれる。

5. 'This will only take a minute.'

この表現通り、本当に60秒間で、何かの話、或いは説明ができるのであるならば、使っても構わないけど、こういう風にアタマを振る人に限って、実に長い話をし始める。みんなそれが分かっているので、聞いた途端にうんざりする。だからそれを覚悟で使いたい人は、使えばいいと思う。

6. 'I’ll try.'

ビジネス会話でこの言葉を聞くと、「この人はTryと言うくらいだから、やってみましょうというぐらいに暫定的で、タスクを成し遂げる自分の能力に関して自信がないんだな」と思ってしまう。ビジネスでの依頼事項に関しては、しっかりコミットするか、出来ないと思った場合はオルタナティブを自ら提供するという具合に、明解に回答すべき。英語の会話で、Tryって言った瞬間に「出来る限り」というニュアンスがにじみ出て、タスクへの逃げが見えてしまう。米国では「一生懸命努力しました(英語になりにくい行為)」っていうのは、結果を出さない限り、殆ど評価されない。

7. 'He’s lazy/incompetent/a jerk.'

まあ滅多に面と向かって社内の同僚に、こういうフレーズで他の同僚をけなす人はいないと思うが、それでもたまにこんなことを社内で口走る人はいる(日本だとお酒の席とか)。「怠け者、無能、我儘で自分勝手で最低の人間」といった人が社内にいたすれば、それは誰もが知っていることで、あえて口にすべきことではない。口にした途端、その人が逆に彼らの仲間入りをすることになる。自分が、そのような人間を解雇できる立場にいるか、或いは彼らをより良くする方法を知っているかという場合を除いて、同僚への批判は一切口にすべきではない。それらは、あとでブーメランのように自分に向かって、批判と中傷が投げ帰ってくるから。

8. 'That’s not in my job description.'

米国では当然のように仕事の内容は、入社前の雇用契約の際に、お互いが確認しあって雇用されるが、それでも契約した内容以外の仕事を、上司から依頼されることはある。その時、このフレーズで返してしまうと、上司は「この人は、最低限度の契約で規定された仕事しかせず、給料をもらおうとしていんるんだ」と思われて、今後の雇用に関するセキュリティのリスクが、ここで刻まれてしまう。勿論出来ないものは出来ないので、中途半端に請け負うことにはリスクが伴うが、ベストな動きは、やれる内容であるならば達成して、次回のSOW(Statement of work)を上司と話し合う時に、それを机上に持ち込む方がいい。その時、上司とは長期的に、自分が何をやるべきかを話し合い、お互いが理解できるようにするのが大人のやり方。

9. 'It’s not my fault.'

これはビジネスに限らず、どんな状況でも「それは自分のせいじゃない」という子供じみた言い訳は、避けるべき。例え、確かに自分のせいではなくても、何か最悪なことが起きた場合には、何らかの己の過失も含まれており、大人としては、常に事実に基づいて「Be accountable (説明責任、即ち起きたことへの責任)」に、上司や同僚と話すべき。闇雲に他の人に責任を被せたりすると、周囲はその人と一緒に働くことを避けるようになり、次回最悪なことが起きた場合は、その人に非難が戻ってくる。

10. 'I can’t.'

この言葉は、上司や同僚が聞くと「I won’t(自分はやりたくない)」に聞こえるので、職場では使わない方がいい。例えば、今日中にこの仕事をお願いと頼まれたら、「今日中には出来ない」というのではなく、“I can come in early tomorrow morning. Will that work?( 明日早く出社してやりますが、それで大丈夫ですか?)という方が、より建設的な会話となる。

11. 'I hate this job.'

これは、もう寅さんじゃなくても「これを言っちゃあ、お終いよ」の究極的フレーズ。言わずもがなだけど、日本の人は我慢強いのであまりこの手の表現は使わないし、聞かないと思うけど、米国の社内では結構いる。上司にしてみると、こういう人が社内のモラル低下の大きな要因になることを知っているので、これをキャッチした瞬間に、その人の解雇を考え始める。「お酒の席でも、これだけは言っちゃあ、お終いだよ」

これは言葉だけの問題ではなく、「Attitude(態度・姿勢)の問題」だと思う

私の40年以上のビジネス経験で、言えることは、周囲(仕事もプライベイトも)には、ポジティブな人を集めるのが、ビジネス成功の秘訣。これに尽きると思う。はっぴいな考えは、はっぴいな行動を生み、はっぴいな人間関係を構築し、仕事も家庭もはっぴいになる。その反対にネガティブな人が、周囲に1人いるだけでも、空気は淀んで、負のムードが覆いかぶさってくる。言葉はとっても重要で、どんな言葉を使うかによって、その人の人間性が見えてくる。ポジティブな表現で話す、それを心がけていると、自然と道が開ける。

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コロナ禍でのアメリカ生活⑱「パンデミックによる人々のPanic Buyingの中に潜む問題とは?」

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人々は州ごとの制限緩和をまだ信用していない

米国は5/4から州によって異なるが、コロナ禍による人々及びビジネスの規制緩和を実施し始めた。私の実感レベルは、まだまだこのパンデミックは収束とは程遠いし、自分自身が、次の感染数上昇の波を作る手伝いをしたくないということで、基本的には週に1度の食料品の買い出し以外は、不必要な外出及び人との接触は避けている。過去2か月間、毎朝6時起床、2時間自宅オフィスで働き、その後8:00から朝稽古(Jazzercise)をオンラインのオンデマンドで1時間して、また仕事に戻り、夕方17時には自宅のオフィスのデスクを離れる、といったルーティンを崩していない。

4/28-5/3の直近の調査では、一般の人達のコロナ禍に関する気持ちは、「最悪は過ぎたとする人が31%」、「最悪は今だとする人が30%」、「最悪はこれからやってくるとする人が38%」と、意見は分かれている。これはどこに住んでいるかという個人の居住エリア、さらにどんなコロナ禍による体験をしたか、など実感レベルによって、大きく異なる。

以下の表は、同調査で「自分が居住する州でどんなビジネスを再開すべきか?」という質問への回答である。再開を望むトップは、ゴルフコース41%で、以下は順に小売店舗34%、理髪店・美容院31%、銃販売店29%、レストラン内での外食26%、ネイルサロン25%、ジム22%、映画館劇場18%と続く。

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ゴルフコースの41%は、戸外で運動しながら物理的にソーシャル可能だということで、2 mのPhysical distancingを取りながらエンジョイできるので、トップに上がる理由は分かる。但し、最初にパンデミックの影響が大きかったレストランに関しては26%と低い数字である。これは、飛沫が飛び交い空気感染の恐れが高いレストランに関しては、お客は行きにくいのが現状で、今後ビジネスを再開しても、実際に以前のように顧客が来るかどうかは難しいところである。また、今後も引き続き経済的な不安を抱える消費者は、自宅待機中に外食がもたらす価値以上に、自宅で食事をする楽しさ、快適さ、便利さ、経済性などを再認識した可能性も高い。

Panic buyingで新たに注目される急増した銃セールス

多分、日本の人達は、この表の4番目に入っている銃販売29%を見て、大いに首を傾げると思う。「なぜコロナ禍で銃を買いたいのか?」という疑問は、以下のNY Timesの月間の銃セールスの推移を見ると理解しやすいと思う。

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コロナ禍によって「Panic buying」状態となったアメリカ人は、トイレットペーパーや缶詰のみならず、2020年3月のたった1か月で新たに190万の銃を購入した。これは過去の月間銃セールスの中で、2013年1月のObamaの再選と2012年12月小学生20人を含む26人が殺されたSandy Hook Elementary Schoolの大量銃撃事件に次ぐ、2番目に大きなセールス増となっている。当然に、銃購入の際のバックグランドチェックも急増しており、2/23から3/31までの銃セールスのレベニューは、対前年比792%増と跳ね上がっている

アメリカ人は、ハリケーン・地震・竜巻などの自然災害、Obama政権誕生や再選(銃規制を主張していた)、更に学校やコンサートなどの大量銃撃事件などが起こるたびに、銃砲店に駆け込む。

アメリカ人の銃カルチャーは「自衛」という発想で歴史的にも深く根付いており、銃を所持することは憲法が保障する権利として、多くの人がそれを強く主張する。この銃カルチャーの根底に潜むサイコロジカルな感情の中には「政府ですら必ずしも自分を守る側にいつも立っている訳ではなく、時には自分達に襲い掛かる可能性もある。自分と自分の家族を守るために、自衛の手段として、銃は必要である」という歴史的に構築された政府への懐疑的な見方も潜む。

過去のパンデミックではここまで銃セールスは増加していなかった。

今回のパンデミックのサイコロジカルなプレッシャーーは、今までに例を見ない形で、人々を心理的に追い込んでいる。何故か? 

ここから私の考えだが、20世紀が構築した薔薇色の世界ともいうべき「グローバル経済及び社会」が如何に脆弱かということを、2020年コロナが立証してしまったからではないか? パンデミックは、「ヒト」と「モノ」の移動を停止させて、世界市場に大打撃を与え、原油や株価の暴落を引き起こし、「カネ」の流れも止めてしまった。その間、Fake newsやPropagandaも含めて「情報」だけは世界中を駆け巡り、人々の不安をより増幅させている。

今日発表された米国の失業データによると、先週更に320万人が失業保険を申請し、過去7週間で合計3,300万人以上が失業した。州によっては就業人口の25%が失業してしまったともいう。

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医療崩壊も然りだが、2か月前まで現大統領は、米国の薔薇色の経済の強さと失業率の低さを謳歌し、己のリーダーシップが、この薔薇色の米国社会を牽引していると豪語していた。彼が描いた「砂上の楼閣」は、あっという間に崩れ、人々は今の生活、或いは3か月後の暮らしを、どのように切り抜けるのかと、異常な不安に苛まれている。これは人々が過去を振り返っても例のない状況で、アメリカというInstitutionが如何に脆く脆弱かという疑問はもたらし、政府や州や企業に頼れない以上「自衛強化(銃購入)」に走ると、考える人を創出してしまったのではないか? と思う。

メンタルヘルスの悪化も考慮すべき

私が一番心配するのは、こうした人々の不安を逆手にとって、それを更に煽り、「新たな敵(例えばアジア人へのヘイトクライム)」をこしらえて、暴力による解決を先導しようとする集団やグループの動きである。彼らは、言葉巧みに密やかに、恣意的な情報を流して、自分達の仲間として、獲得したい人達を誘導する。殆どの銃の所有者及び購入者は、武器としての銃というよりは、射撃やハンティングなどの趣味、或いは牧場や農場経営で野生動物から家畜を守る自衛のためなど、銃撃事件とは程遠い人達である。但し、そうした人達でも、コロナ禍で切羽詰まった人間に自宅を襲われるといった危険への備えは考えていると思う。

パンデミックはメンタルヘルスの弱い人達を、さらに不安に陥れる可能性があり、そうした人達が上述したグループなどと接触したり煽られたりすると、思いもかけない事件が起きる。DVの増加やオピオイドやその他の薬の中毒患者の過剰摂取も増えており、メンタルヘルスの悪化は否めない事実である。様々な角度で、このパンデミックを捉え、俯瞰で見ながら、出来る限りPositiveな気持ちになる必要がある。「パンデミックは、必ず収束する」、このマントラを唱えて、Panic buyingといった行為は避けることを勧める。

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コロナ禍でのアメリカ生活⑰「パンデミックは、結局人間社会の大変革を強いるトリガーとなる」

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最近2人の感染症の専門家の記事を読んで、思わず人類の文明と疫病の関わり方を考えた。以下の文章は、元国立感染症研究所室長の加藤茂孝さんと海外勤務健康管理センター勤務の感染症専門家の濱田篤郎さんの2人の分析記事、Wikipediaなどからの抜粋・引用・まとめで、自分のアタマを整理するために、書き留めておく。

人類史は感染症とのやり取りに彩られている。

人類史は、誰もが知っているように感染症との闘いである。歴史上、人類が大移動する時に、パンデミックが存在するコトは、多くの感染症の専門家に指摘されている。特にペストは、およそ300年周期で、有史以来過去4回のパンデミックを人類にもたらしている。

1) 6世紀の「ユスティニアヌスの疫病」(8世紀末迄続いた):東ローマ帝国のユスチアヌス帝が大ローマ帝国復活をかけて、侵略戦争を繰り広げている頃、首都コンスタンチノーブル(現イスタンブール)では、日に1万人近い人々が死亡し、東ローマ帝国の人口の40%の2,500万人が死亡。

2) 14世紀の「黒死病」(1340年代に始まり、オスマン帝国では19世紀半ば迄続いた):中世の黒死病は全世界で8,000万人から1億人が死亡

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3) 17世紀の「ロンドン大疫病」:1665年にロンドンで大流行して、年間7万5,000人、当時のロンドンの人口のほぼ4分の1が死亡。

4) 19世紀末から始まる4回目の大流行(20世紀迄続いた):ヨーロッパに達することはなかったが、アジア、アフリカだけでなくアメリカ大陸にも波及した。

4つのペストの巣窟

世界には、以下の4箇所のペストの巣窟(ペストサイクルが回転している地域)があり、この巣窟に人間が侵入したり、あるいはネズミがそこから大量に移動することで、流行は世界各地へと拡大していった。

1)アフリカ中部の大湖地帯:ここから6世紀のパンデミックとなる。

2) 中央アジアの草原地帯:ここから中世の黒死病の流行が勃発した。この時代は、モンゴル帝国により中央アジアに草原の道が築かれ、人間が巣窟へ容易に侵入できる状況になり、ペストの主な標的となるクマネズミも巣窟からヨーロッパ方面へ大量移動した。

3) 中国とミャンマーの国境沿いの山岳地帯:19世紀末の大流行はここから始まる。

4) 北米の砂漠地帯:4回目の世界流行の果てに新たな拠点を築いた。

ペスト菌の本来の意義は、ネズミの個体数を調整する生態系のメカニズム

海外勤務健康管理センター勤務の感染症専門家の濱田篤郎さんがこうしたパンデミックが起こる原因を以下のように説明する。

「生態系の中で食料不足や個体数の過剰などがおこり、ある生物種の存続が困難になると、その生物種は別の生態系に移動する現象をおこす。さらに、それでも存続できなくなると、集団自殺行動をとることもある。ネズミであれば、次々と川に飛び込んで自殺するわけだが、これは「ハーメルンの笛吹き男」に出てくる状況と極似している。個体数が増えすぎたり食料不足になると、ネズミという生物種を存続させるために、ペスト菌がネズミの殺戮を開始する。すなわちペストサイクルが過剰に回転を始める。こうして、人間がサイクルに接触する機会も増加し、それとともに、ネズミは移動という方法をとるため、巣窟の外にある人間社会にも流行が拡大する。これが300年周期で繰り返される原因ではないか?」

黒死病がもたらしたものは?

ルネサンスへの道、ペスト医師の登場

黒死病の頃には、ペストはノミの吸血感染から空気感染に変化しており、当時の人々にとって、患者に近づくだけで感染し、瞬く間に死んでてしまうという現象は、恐怖そのものだった患者に近づくと感染するという経験から、家族は看病をやめて患者を放置し、放置された患者は、まだ息をしている瀕死の場合でも、近づくのを嫌がる人達に、死体として処理され、生き埋めにされるという悲惨な状態が起きた。

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その頃、ルネサンスの作家のボッカチオは、故郷のフィレンツエに戻るが当時12万人の人口が僅か2万人にまで激減した。ここで、ボッカチオは代表作の「デカメロン」、ペストに脅えて郊外に逃避した男女10人が語る好色艶笑譚を執筆し、極限の恐怖状態のため、快楽と官能的な喜びに溺れる者を描いた。

中世の大流行の後に、巷にはペスト医と呼ばれる医者が出現する。感染を防ぐために、彼等が纏う服装は、全身を皮の衣服で包み、顔には覆面をかぶる。それは、鼻と口に鳥の嘴のような突起をもつ恐ろしい覆面だった。この嘴の部分には、空気を洗浄する目的で香の強い薬草を入れていた。目の部分には、視線を合わせないように覆いがされていた。

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ペスト医の1人として、16世紀のフランスで名声を博し、予言者として著名なノストラダムスがいる。 彼は1529年に大学の医学部を卒業し、南フランスで幸せな結婚生活を送っていたが、間もなく妻と二人の子供がペストによって死亡してしまう。この試練を経て、彼はペスト医としての仕事に没頭する。ペストの予防に関しても、土葬をやめて火葬を推奨するなど、数々の画期的な提言を行っている。

ユダヤ人迫害、宗教改革、農地改革と社会が大きく変化していった

当時ペストの原因は誰もわかっておらず、悪魔が毒をまいたと言われていたが、悪魔は見えないし、毒も見えない。そこで人々が目をつけたのがユダヤ人だった。ユダヤ人は教典に忠実で、規則的で禁欲的な生活を送っていたため、ペストにかかる人が少なかった。それを盾にとって「あいつらは生き延びている。きっと毒をまいたに違いない」として、ユダヤ人を襲い始めた。当時からすでに裕福であったユダヤ人はお金も奪われて、ポーランドやリトアニアに逃げた(逃げたユダヤ人の子孫たちが、その後ナチスドイツによって迫害される)。

またキリスト教のローマ教皇の全盛期であったが、そのローマ教皇が祈ってもペストは治まらず、医学担当の神父たちも全然治せないといった現実に対して、人々は不満を持ち始め、それはその後の宗教改革へとつながる。

土地制度は当時は荘園制で、地主(領主)が農奴に土地を貸し付け、農作物を納めさせており、農奴はいわば奴隷的な身分だった。しかし、ペストにより農奴が一気に減り、荘園制が次第に維持できなくなり、農奴は待遇改善を要求し始め、後に賃金を得て労働する賃金労働制へと移行していく。

このようにペストがもたらした社会への変革は、中世から近世へと移行する大きな原動力となり、今と違って、社会は100年から200年かけてゆっくりと変わっていった。

パンデミックは、結局人間社会の大変革を強いるトリガーとなる


歴史が物語るように、パンデミックによって、人々は従来の既得権に守られた既成概念や因習・旧習など、「変えられないと思っていたものを変える」コトが可能となる。加藤茂孝さんは、今回の新型コロナは人間にとっては厄介であるが「賢いウイルス」だという。

「過去のSARSとMERSは感染するとみんな重症になり、どこに患者がいるかすぐにわかり、その人を隔離すれば、それ以上広がらなかった。だから、どちらも数カ月から半年で終息した。ところが今回の新型コロナは、重症化するのはわずか20%で、あとの80%は症状がないか、あっても軽い。そうすると、どこに患者がいるかわからないから隔離できず、その間に世界中に広がってしまった。私は欧州で広がり始めた段階から、このウイルスは流行を繰り返して、最終的には人類に定着すると思っています。定着とは毎年流行するということです。言い換えれば、流行しても誰も意識しなくなる。そうすると、次第に集団免疫が確立していきます。みんな免疫を持つようになり、流行する規模が減って、最後には風邪ウイルスのように流行しても誰も意識しなくなっていくでしょう。今のように大変なのは今年1年、あるいは来年もいくか。いずれにせよ、その1、2年の話だと思います。¥

ポストコロナは人類にとってのOpportunityだと思う

英語で隔離や検疫を意味する「quarantine」は、イタリア語の「40日」という言葉が由来。中世の黒死病のパンデミックの頃、ベネチアでは、船が港に到着しても、40日間は港の外に待たせて、船の中の様子を観察したことから始まった。この意味は感染症を考える時に、大きな意味を持ち、その後その実施活用によって、多くの人達への感染を防いでいる。この例をひくまでもなく、2020年に起きたこのコロナ禍は、21世紀に生きる人としての生き方や暮らし方、働き方、社会構造、経済構造、物流、環境などなど、全ての側面で、みんなが立ち止まって考える機会を提供している。

本当に必要なものは何か?優先順位はどうつけるのか?市場なんて実に幻想に近い人々の思い込みで成立しており、簡単に崩れてしまうんだ、セーフティネットがなぜ今ないんだ?、なんでこんな政治家を国の舵取りに選んだのか?なぜ人は密集して住んでいるのか?医療制度を何でもっと真剣に考えなかったのか?など、考えることは山ほどある。

でも、これはとっても大切なことで、まず真剣に考える、コトから始める。今まで直視するのが嫌で、目を背けていたことを、辛くても見る必要がある。例え、経済的には失業や倒産といった厳しい試練に立ち向かうことを余儀なくされても、それを乗り越える知恵を絞る時が来ている。

自戒を込めて、今はそう思っている。知恵を絞って、ここを乗り越える。パンデミックは必ず収束する、それが1年なのか2年なのか今は分からないけれども、その後には必ずチャンスが待っていると思うし、それを信じている。

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【7日間ブックカバー】7日目 - 最後は私の大学時代の広告研究会の仲間の荻原浩の『二千七百の夏と冬』

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Facebookの仲間達からバトンが渡されて7日間ブックカバーを開始。これは備忘録として記録しておきたい。

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最後は私の大学時代の広告研究会の仲間の荻原浩の『二千七百の夏と冬

1学年下の荻原君(当時は何時もそう呼んでいた)が、作家になったのは1997年、私がすでに米国移住した後だった。日本出張時にそれを知り、彼は大学卒業後、私と同じように広告代理店に入社し、その後彼がフリーのコピーライターをしていたことを知っていたので、作家になったと聞いても特に驚かなかった。

早速最初の小説『オロロ畑でつかまえて』を読んで、物凄く驚き、物凄く嬉しくなった。「こんなユーモアに富んだ面白い小説を書けるんだ!荻原君、凄い凄い!」と心から喜んだのを思い出す。その後、彼の作品をかたっぱしから読み、どれもこれも独特のユーモアと展開の妙にあふれる作品で、大いに彼の小説をエンジョイした。

彼とは一度だけ作家になりたての頃、2人で渋谷で会ったけ。「シバさん、作家をやっていくって大変なんです。書き続けることが。何とかやっています」と昔と変わらない「控えめな荻原君」がそこにいた。そんな彼が直木賞まで受賞する(2016年『海の見える理髪店』)とは、「世の中というのは、実に、いとをかし(趣きがある)」としか言えない。

今日選んだ『二千七百の夏と冬』は、多分日本初の縄文人を主人公にした時代小説だと思う。私は、彼の想像力の羽ばたき方が実に素晴らしいと思う。また批判もあるけど、縄文時代の動植物の名前や動詞を縄文語で表現したり、縄文人と弥生人の言葉の違いで会話が成立しない部分を「****(伏せ字)」にしたり、従来の小説に見られない工夫がある。私は、この小説の中での「金色のクムゥ(ヒグマ)との戦い」が、個人的には大好きである。

プロットは2011年東日本大震災の爪痕が残る関東のあるダム工事現場で、縄文人の骨が発見された。発掘が進むにつれ、その人骨は少年であり、その手の先にはもう一体、少女の人骨が埋まっていることが判明する。しかも、それは弥生人のものであった。物語は2011年の女性新聞記者・佐藤香椰と、縄文時代の少年ウルクの物語が交錯する対位法の形式で進む。

私は荻原浩の作品を殆ど読んでいて、全部大好きだけど、あえて選ぶとこんな感じ。『オロロ畑でつかまえて』、『なかよし小鳩組』、『』、『母恋旅烏』、『明日の記憶』、『愛しの座敷わらし』、『オイアウエ漂流記』、『金魚姫

【目的とルール】
●読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する
●本についての説明はナシで表紙画像だけアップ(書いても良い)
●都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする

【バトン】
バトンは、私の仲良し友達の1人Yoko Sakanoue さんに渡します。彼女とも長いお付き合いで、視野が物凄く広いので、何を選ぶかが楽しみ!お願いします。

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【7日間ブックカバー】6日目 - 隆慶一郎の未完の大作(絶筆)『花と火の帝』

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Facebookの仲間達からバトンが渡されて7日間ブックカバーを開始。これは備忘録として記録しておきたい。

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【7日間ブックカバー】6日目 - 隆慶一郎の未完の大作(絶筆)『花と火の帝』

兎に角、私は隆慶一郎の時代小説が大好きで、殆どを読んでいる(それも1冊1冊を何回も何回も読んでいる)。

隆慶一郎は1984年60歳の時に小説家としてデビューした。それまでは本名の池田一朗で脚本家として映画『にあんちゃん』、テレビドラマ『鬼平犯科帳』などを手掛けていた。彼は60歳から66歳までたった6年という短い期間で、私も含めて一度でも彼の小説を読んだら、彼の作品の虜になるような小説を14冊書き遺している。私が特に好きな作品は『吉原御免状』『かくれさと苦界行』『一夢庵風流記』『影武者徳川家康』『捨て童子・松平忠輝』『見知らぬ海へ

この小説は、天皇の御輿を担ぐ八瀬童子の岩介(天皇の隠密)と後水尾天皇を主人公として、徳川幕藩体制を固めようとする2代将軍徳川秀忠との、知らざれざる確執と攻防を描いたもの。

八瀬童子とは、建武の頃、後醍醐天皇が足利尊氏に追われて、比叡山に潜行した際、輿をかついだのが縁で、天皇家との結びつきを強め、禁裏の駕輿丁を務めるようになり、明治天皇と大正天皇の大喪でも、その柩をかついでいる。

「鬼の子孫」と呼ばれてきた八瀬童子の中でも、主人公の岩介は、一族がかつて持っていた太古の異能を色濃く血に受け継いだ「本卦還り」。さらに後水尾天皇は、幼少の頃から歴代の天皇が持つ神秘(呪術に近い)のチカラを持ち、「道々の輩(農業民以外の自由な漂泊者たちー山の民、漁民、芸能民、承認、手工業者、商人、遊女、山伏、呪禁者など)」によって熱い支持を受けていた。これを潰しかかる徳川幕府は、柳生忍群を主力として、様々な暗殺者を禁裏に差し向ける。

岩介の八瀬の暗号のような言葉と、後水尾天皇が語る京言葉(今まで御所言葉で話す天皇は読んでいたが、京都弁で話す天皇は初めて)が何とも言えず、全体の小説のトーンを柔らかく更にリアリティを感じさせる。

隆慶一郎の時代小説は、歴史の裏に潜むロマンを想像力によって大胆に膨らませて常識をひっくり返し、膨大な資料にあたった上で網野善彦による網野史観を取り入れている。緻密で美しい文章と綿密な考証と壮大なスケールで描かれる伝奇的な世界観は、私を魅了する。彼の遺された作品を全て読まれることをお勧めする。

PS:この『花と火の帝』は、残念ながら未完に終わっており、この続きがぜひ知りたいと、今でも熱望している。思わず、自分なりに解釈して、書こうと思ったくらい。そこまで自分も怖いもの知らずではないので、やってはいないけど。

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●都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする

【バトン】
バトンは、私の仲良し友達の1人 Toru Saitoさんに渡します。長いお付き合いで、とてもはっぴいで楽しい私の友達です。お願いします。

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【7日間ブックカバー】5日目 - イサク・ディーネセン(Isak Dienesen)の『アフリカの日々(Out of Africa)』

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【7日間ブックカバー】5日目 - イサク・ディーネセン(Isak Dienesen)の『アフリカの日々(Out of Africa)

昨日ヘミングウェイの遺作を紹介したけど、ディーネセンは、ヘミングウェイが20世紀最高の「Story teller」と評し、実際1954年ヘミングウェイは彼女とノーベル文学賞を争い、彼が受賞した。

1885年生まれの彼女は、28歳の時にスウェーデンの貴族と結婚し、本名はカレン・ブリクセン(Baroness Karen von Blixen-Finecke)。但し20世紀初頭という女性の地位が低い時代、小説は男性名のペンネームのディーネセンを使っていた。

1937年に出版された 『アフリカの日々』は、1914年から1931年の17年間の彼女のアフリカでの農場経営を元に書かれているが、1985年に映画化されたハリウッド映画『愛と哀しみの果て』とは大きく異なる(私は小説を先に読んで映画を見たのでかなり驚いた)。彼女はアフリカ時代に夫と離婚し(夫から梅毒をうつされて後年病気に苦しむ)、単身で農場経営を試みるが失敗し、デンマークに帰国した。

小説は、アフリカの風景、人々、動物たちに対する彼女の畏怖と愛情を、独特の切れ味鋭い描写で綴る壮大アフリカ叙事詩で、映画のようなロマンチックなお話ではない。

私が好きな理由は、昨日紹介した『海流のなかの島々』も然りだけど、文章を読み進めると、アフリカの大地の匂いを実感出来るところ。また叙事詩と言っていいほどの詩的表現も実にいい。

私の夫はデンマーク系のアメリカ人で、デンマークへの親近感もあるが、それとは’関係なく、彼女の他の小説も含めて(『七つのゴシック物語』、『バベットの晩餐会』)、読んで、物凄く面白い。ヘミングウェイに言われるまでもなく、彼女は「Story teller」として、本当に20世紀を代表する作家だと思う。

PS:映画『愛と哀しみの果て』の日本公開時に英語読みの「アイザック・ディネーセン」という誤表記が広まり、定着した(アイザック=英語読み、ディーネセン→ディネーセン=デンマーク読みの誤表記)

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【バトン】
バトンは、私の仲良し友達の1人 Qanta Shimizu さんに渡します。日米両方で会っているけど、1月にはSt Georgeの我が家にもCESの帰りに来てくれた。もう体調は良くなったと思うので、お気に入りの本の紹介、お願いします。

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【7日間ブックカバー】 4日目 - アーネスト・ヘミングウェイ(Earnest Hemingway)の遺作(最後の小説)『海流のなかの島々(Islands in the Stream)』

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【7日間ブックカバー】4日目 アーネスト・ヘミングウェイ(Earnest Hemingway)の遺作(最後の小説)『海流のなかの島々(Islands in the Stream)』

この小説はヘミングウェイが1950年から1951年にかけて書いた作品で、1961年彼が自殺した時に原稿のまま残されていた。彼の死後、妻のMary Hemingwayによって発見され1970年に出版された。

主人公は、ヘンミングウェイの自画像に近い画家トマス・ハドソン、当初は"The Sea When Young"、"The Sea When Absent"、"The Sea in Being"という副題の3部構成で、その後名称は"Bimini"、"Cuba"、"At Sea"と変更された。4番目にあたる部分が、生前『老人と海(The Old Man and Sea)』として、1952年に出版されている。1977年にGeorge C. Scott主演で映画化された

私がこの小説が好きな理由は、海洋の波や飛沫や風や太陽といった自然を直截的に感じられて、読み始めた途端に自分がカリブ海の海流の中に溶け込んだような感覚を感じたこと。ヘミングウェイの人生そのものを知っているせいか、彼と主人公の姿がダブり、人が生きて死ぬというコトを考えさせる。

これを読んだ時は、まだセーリングをしていなかったが、母の故郷の伊豆大島でいつも夏を過ごしていた海洋大好き人間としては、お気に入りの小説。日本語訳しか読んでいないので、これを機に英語で読もう

PS:日本語版のカバーもいいけど、オリジナルの海図を使った表紙が実にいい。

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【バトン】
バトンは、私の大切な友達の1人のKenichi Kikuii さんに渡します。私が珍しくちょっと困った時に、思わずメッセージして、想いをダウンロードする相手。お願いします。

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【7日間ブックカバー】 3日目 - 岡本太郎のフォト・ルポルタージュ『岡本太郎の東北』

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【7日間ブックカバー】3日目 岡本太郎によるフォト・ルポルタージュ 『岡本太郎の東北』

岡本太郎は1938年パリ大学のソルボンヌで民俗学を学び、専門領域にオセアニアを選んだ。この頃、著名な写真家のマン・レイやロバート・キャパ達との交流もあった。

この本は、1950年代の東北を描写するフォトルポルタージュで、彼の洞察力に富んだ写真と文章による「東北文化論」である。本の腰巻に書かれているように、岡本太郎はこの時「カメラを持ったシャーマン」として、日本文化の源流を求めて東北に旅立った。私は彼の書籍を色々読んでいるが、視点もさることながら、言葉の選び方にいつも圧倒され、また熱狂する。この本における、彼の民俗学者としての洞察は、私の大いなる共感を呼び、彼の奇をてらわない語り掛けるような写真によって、私は1950年代の東北を、彼と一緒に旅したような気になった。

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岡本敏子が寄せる序文にこう書かれている。

岡本太郎が東北に寄せる情感には特別なものがあった。血が騒ぐのだ。縄文の故郷だから、とか頭で考えて辻褄を合わせたような偏愛ではない。"恋は思案のほか"と言うが、とにかく彼はあの風土と人間に、並々でない共感を抱いてしまう。まづ、あの緑が好きだった。みずみずしく、深く、ぶ厚い。グリューネワルトだと言っていた。丁度、ヨーロッパがまだ緑に覆われていた頃、ケルトの、無限のうねり、変転し、くぐり抜けては回帰してゆく組紐文の世界観が、その緑の神秘から生み出されて行ったように。縄文の、直接四次元の世界と対話するあの呪術的な、彫りの深い造形は、濃くみずみずしい緑の天地から培われたに違いない、と彼は思っていたようだ。」

2002年に発行された、とても素敵な本!

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【バトン】
バトンは、私の大切な友達の1人の Yuichi Inobori さんに渡します。日本出張時にいつも語り合うけど、時間がいつも足りなくなるほど、色々な話で盛り上がる。

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【7日間ブックカバー】 2日目 - 高橋克彦『楽園にようこそ』

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【7日間ブックカバー】2日目 -  高橋克彦『楽園にようこそ』

高橋克彦による2007年のエッセイ『楽園にようこそ』。私は彼の小説『火怨 北の燿星アテルイ』、『炎立つ』、『天を衝く』といった東北を舞台にした小説が大好きで、更にそれ以外の彼の想像力が羽ばたく伝奇小説も含めて大ファンである。

理由は、彼が勝者によって改竄或いは抹殺された歴史を、彼独自の歴史観で掘り起こし、小説家としてのクリエイティビティで、素晴らしい「物語」に仕立て、私達を楽しませてくれるから。

このエッセイの中には「滅ぼされた楽園」という章がある。

「なぜ東北は執拗に攻め滅ぼされなければならなかったのか。それへの問いかけが私のスタートとなった。歴史的資料の乏しさが壁となってはだかっている。仕方なく伝説や民話を手がかかりとして東北を歩き回っているうち、天啓のごとく閃いた考えがある。東北には縄文時代のシステムがそのまま生き長らえていて、稲作という管理社会が基本である弥生以降の国家にとって最大の脅威ととらえられていたのではないか。狩猟採集を基盤とする縄文世界は稲作文化と違って土地に縛られず、搾取構造にもならない。上下の人間関係も成立しない。ある意味で理想的な社会主義を実現できる。家族単位の行動が軸となるから疎外や競争も生まれない。それがわずかの範囲内のことであるなら無視もできようが、東北という広大な土地にそういう自由を満喫している人々が暮らしていることは、集権国家にとってまさに見過ごすことのできない大問題であったのだ。

私は日本の歴史における東北の位置づけに、非常に興味を持っており、高橋克彦ではないが、なぜ日本の政府は常に東北に攻め込み、彼らを蔑み、敗者扱いしようとしたのかが、疑問だった。その答えの1つは、このエッセイの中にある。また東北に関心を持つと、必ず自然と共棲して豊かな文化と生き方を構築して、人生をエンジョイしていた縄文文化に行き着く。今のような時代には、立ち止まって、悠久の歴史を紐解くのもいいと思う。まずは、このエッセイで「楽園」とは何かを読んで欲しい。表紙と裏表紙に書かれている言葉も読んで。

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【バトン】
バトンは、私の大切な友達のYamamoto Shogo さんに渡します。昨日はZoomで奥さんも含めて、4歳の娘さんと1歳の息子さんと対面してお喋りしました。娘さんは車で我が家に遊びに来ると言っていたけど、多分飛行機だと思う(笑い)。彼との付き合いも長く、今は素敵な家族を持って何より。起業家のしょうごさん、お願いします。

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#BookCoverChallenge #day2

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