日々刻々と変化するアメリカの生活環境の制限の中で、自分がどんな風に暮らしているかを、思いつくままに書いてみる。
トイレットペーパー1個の喜び
今朝は満を持して、夫と暗いうちに家を出て、7時開店の近所のローカルのマーケットHarmonsに行ったが、またしてもトイレットペーパーはなかった。次に開店していたHome Depotに寄ったが、ここも当然のごとく在庫はなく、いつ入荷されるか分からないというつれない返事。夫が、小さなガスステーションのマーケットにはあるかもしれない言うので行ってみると、最初目に入らなかったが、最後の1つのペーパーロールが、棚の下に隠れるようにちょこんと座っていた。私は思わず「やった!」と心の中で叫び、隣りにあったティッシュペーパーの箱を2個(4個取りたかったが、自己中心な行為が品不足を生むと自分に言い聞かせて2個にした)獲得して、レジに行き、キャッシャーが「あなたラッキーね」とペーパーゲットを褒めてくれた。実に2週間ぶりのペーパー購入で、私は夫にハイタッチするほど興奮した(これで我が家の在庫は、ロールは8個でティッシュペーパーの箱は12個)。夫に「我が家はウォシュレットがあるんだから、ドライヤーボタンを使って乾燥させれば、ペーパー使用を大幅に削減できる」と言われ、「はい、ごもっとも」と答えて、次にいつ確保できるか分からないペーパーへの想いを断ち切った。
スプリント的な思考からマラソン的な思考へ
私は中学時代は陸上競技の選手で、都大会に選ばれて、当時の国立競技場で開催されたNHK放送陸上に、砲丸投げと400mリレー(第1走者)で出場した。砲丸投げでは都大会6位に入賞したことは今でも誇らしい(周囲の選手はみんな大きな女子達で、私1人が千代の富士みたいに小柄で軽量だったけど、後ろ向きのポーズから身体を1回転させるフォームで、調子がいい時には10m以上を飛ばした)。ハードル、3段飛び、幅跳びなども得意で、三種競技B (100m-走幅跳-砲丸投)にも出場している。今朝思ったことは、今回のコロナ禍は、私の好きな短時間で勝負のつく、スプリント的な思考回路では克服できないという点。
中学時代の私の唯一の長距離レース経験は、野山を駆け巡ったクロスカントリーレース。クロスカントリーでは、通常のフィールドとは異なり、思いもよらない山道の中で、小石、小枝、ちょっとした小川などを飛び越えて、走り続けた記憶がある。次に何が来るか分からないけど、クロスカントリーもしっかりしたペース配分が必要で、それがないと、最後は脚が前にでなくなる。
コロナ禍の生活で、必要なことは、日々の生活の仕方とスピードを、スプリント的な思考から、マラソン的な長距離思考に切り替えること。この切り替えが出来ないと、まず最初に心が弱くなり、ずるずるとペースが落ちて、最後は脚が出なくなる。
Instant Gratification(瞬間的な満足・報酬)にはさよならしよう
Millennial & Gen Zといったデジタルネイティブに限らず、私達もすっかり「Instant Gratification(瞬間的な満足・報酬)」に慣れてしまい、今直ぐ全てを手に入れないと、我慢できない気持になっている。でも、このコロナ禍では、その気持ちや欲求を捨て去り、まず色んなことを辛抱する気持ちと時間が必要となる。長い距離を走る以上、これはとっても大切なことで、100m走みたいにスタートダッシュで息を止めている間に、勝負がつくものではない。まずは、自分のペースを見つけて、それを生活の中に上手く配分して、自分がこのペースならば長く継続できて、尚且つ、それなりに快適だというリズムを確立することが重要だと思う。また自分よりもっと困っている人達がいることを常に考えて、「Me first」ではなく「他の人ファースト」の気持ちを持って行動し始めるべきだと思う。
PS: 因みに最初のメダルの写真は、当時の東京都知事の東龍太郎さんから、体育優良生徒として表彰された時のもの(中学校の校庭で全校生徒の前で、校長先生から授与された)。2番目の4つのメダルの写真は、小さな競技会で入賞した時のメダル。こういうのを見ると走りたくなる!